『ブッダという男』を読んで
仏教学者・清水俊史先生の『ブッダという男―初期仏典を読みとく―』(ちくま新書)を読みました。
発売後すぐXでも話題になっていて、色々な人の感想を目にしながら、「「歴史のブッダ」もまたひとつの神話だった」という認識が、この一冊によって多くの人の心に植え付けられたのだな、と感じておりました。
実際に自分で読んでみて思ったのは、清水先生は「真の歴史のブッダ」を提唱しようとしたわけでもなければ、神話的な描写を信じて受け入れろと言っているわけでもなく、「歴史のブッダ」という近現代人が作り出した神話が機能しなくなった今、私たちはどのように仏典を読むべきかというひとつの道筋を示されたのではないか、ということです。
清水先生は、本書の前半において、「戦争や暴力を否定する平和主義者で、階級差別や女性差別を批判し、かつ業や輪廻のような非科学的な説を否定した先駆的な人物」としての「歴史のブッダ」のイメージをひとつひとつ批判的に検討し、否定しています。
ここで否定された「歴史のブッダ」は、ただ単に近現代人の理想を投影されているというだけでなく、「2500年前のインドに生きていたにもかかわらず、現代人の価値観でみても真っ当な感覚を持った先駆的な人物」としても浮かび上がってきます。清水先生は最終的にこの「作られた先駆性」のイメージを否定するために、本書の後半において、初期仏典をもとに「ブッダの真の先駆性」について語られたのではないでしょうか。
私は本書全体を通じて、長年にわたって初期仏典を研究してこられた清水先生の研究者としての情熱、そして「手札がまわってきた者」(機会がめぐってきた者)として使命を果たそうという意志を感じました。
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