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オーム、未だ聞こえず〜コンラッド・ルークス監督『シッダールタ』(1972)

 映画の話の前に、オリジナル・ストーリーについて。

 原作であるヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』(1922)は、当方にとって特別な作品である。

 この物語、タイトルから仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタの伝記作品と勘違いされがちだが、主人公のシッダールタは別人。仏陀は物語中登場し、シッダールタ変貌の過程において、いわば反面教師的人物として描かれる。主人公とはあくまで異なる人物。

 すなわち、ヘッセは仏教に傾倒しつつ、“別の道”を探るのである。敢えて紛らわしいタイトルをつけたところは、挑戦的とも言える。『シッダールタ』というネーミングは釈尊出家以前の名前を使っていることからも、悟りを得た仏陀よりも、それ以前の求道者の体験を追求しようとしたことは明らかである。

 さて、映画の方はその存在は知っていたが、ずっと見逃していた。小さな画面では見る気が起きず、また劇場情報が耳に入ってこなかったこともある。今回、新宿K’sシネマの『奇想天外映画祭』という企画を知り、迷わず出かけた次第。鑑賞日は9月17日(金)。

 映像作品は、原作の雰囲気を伝えていると思う。画像は経年劣化しているものの、クリアーでない方がかえってインドらしい。熱量に富む空気の停滞感を感じさせた(なお、9月の上映がフィルムだったかどうかは不知。)。

 この映像化が、1970年代に行われた背景も想像できる。ヘッセは非戦の作家であり、カウンター・カルチャーにも影響を与えことは知られるところ。ベトナム戦争やヒッピーの時代に、そのスピリットに共鳴する人々がいたのだろう。コンラッド・ルークス監督も、先立つ1966年に『チャパクア』というビートニク・ムービー(ビート・ジェネレーションを取り上げた作品)を制作し、自分の薬物体験を表現している(これは見ていないが)。

 主人公シッダールタの魂の変遷上、キーとなる役割を果たす娼婦カマーラ像もほぼイメージどおり。インド人女優シミ・ガーレワールの美貌と肢体が眩しい。

 原作の翻訳を初めて読んだのは、80年代中頃、大学を卒業して数年経った頃だったと記憶する。高橋健二氏の改訳前の新潮文庫で、訳文が詩的で気持ちよかった。

 その後、40代から50代にかけて、時々手に取って来たが、特に味読したのは2016年、当方50代中盤であった。読んだのは高橋健二氏の改訳版。ちなみに、岩波文庫の手塚富雄氏訳や草思社の岡田朝雄氏訳も読んでいるが、高橋氏のものが流麗であり、副題『インドの詩』にふさわしく感じた。

 20代初めの幻聴体験のことは、芥川龍之介の『蜃気楼』について書いた時に触れた。就職してからは症状は消え去り、その後、長いこと再発することはなかった。

 ところが50代半ば、35年の歳月を経て、2016年不眠症が再び到来。海外勤務中に発症し、帰国して仕事復帰までの約半年間続いた。結構しんどい状態だったので、やむなく医者に相談し薬物療法を開始。長期戦を覚悟した。悪戦苦闘したが、今回も勤務を再開し、規則正しい生活が軌道に乗ると薬も欲しなくなった。

 ヘッセ『シッダールタ』は、この不眠治療中に、治療のための一種のマニュアルのように読んだものだ。

 不眠の原因は、山積する後悔や不徳、思い当たること多々だった。しかし、再発までの30年余り、強度のストレスやトラブルに遭っても、それなりに対応し、乗り超えてきたのだ。ただ、たまたま余暇を得て、内省する時間が増えたことが災いしたと今では思っている。また、生活の急激な変化や加齢のせいもあったと思う、不覚にも変調をきたしてしまったのである。

 鬱病も疑った。俳優の竹脇無我氏、気象予報士の倉嶋厚氏、アナウンサーの小川宏氏、作家の中島らも氏や北杜夫氏など、同種の症状を患った経験者の方々の本を読み漁った。いずれの著作も、現実と幻の境界を彷徨う魂の真摯な記録である。中でも、愛読してきた『シッダールタ』はすがるような気持ちで改めて手に取った。

 さて、当方が本作品に求めたものは何か。

 結論から言うと、それは苦痛からの脱出方法だった。不謹慎ながら、作品に解脱(げだつ)“マニュアル”を見出そうとしたのである。

 そして、当たり前のことなのだが、小説に苦痛脱出のハウツーは書かれているわけではない。

 主人公・シッダールタは「悟り」を求めて苦しむが、仏陀の教えに従うことによっては「悟り」に達することはできないことを自覚している。

 では、仏陀の教えとは別に、「悟り」へ到達する道があるのであろうか。

 「悟り」に達するとは、言葉を代えると「克服」するということである。しかし、ヘッセは「耐え忍ぶ禁欲者シッダールタを書き終えて、勝利者、肯定者、克服者シッダールタを創作しようとすると、もううまく行かなかった。」としている。(高橋健二『ヘルマン・ヘッセ ー危機の詩人ー』1974、新潮社、P155)。

 ヘッセは「成道後の仏陀よりも生に悩んで出離を求めた仏陀に共感を寄せ、何らかの結論を示すことよりも、悟りに達するまでの体験の秘密を探ろうとしたのである。」(同上、P155)

 高橋氏のこの説明には同意。では、「体験の秘密」を探るとは、一体いかなる作業だろうか。

 まず、シッダールタはアートマン(真我)を知識として知っていた。

「ーすでにして彼は、自己の本性の内部に、破壊しがたく、宇宙と一体なるアートマン(真我)を知ることができた。」(ヘッセ『シッダールタ』高橋健二訳、1992年改版、新潮文庫)

 すなわち、ヘッセにとって到達点が見えている悟りのプロセスを語ることは難しいことではなかったが、それは無意味な作業であり、その結果、物語は宗教的体験の秘密の方を主題とすることになった。しかし、その体験は暗示にとどまっている。解脱への処方箋は示されていないのである。

 2016年に文庫本の何箇所かに付箋をつけている。次の部分はその一つ。

「父は賛嘆に値した。その挙措は静かで高貴だった。その生活は清らかで、そのことばは賢明だった。(中略)非難の余地のない人なのに、なぜ父は毎日罪を洗い落さねばならなかったのか。」(同上、P13〜14)

 非の打ちどころのない父が毎日罪を洗い落さねばならないとは。疑念を呈するシッダールタの旅が始まる。

 ことばのなかのことばなる「オーム」(「完成」の意)の発露は、一見自家薬籠中のものとしてあっても、それは単なる知識に過ぎなかった。シッダールタにとって、アートマン(真我)は、見せかけの観念的なものにすぎなかったのである。

 覚者仏陀のもとを去り、同志ゴーヴィンダと別れてから、シッダールタは気付く。

「自我こそ自分がその意味と本質を学ぼうと欲したものだ。自我こそ自分がそれからのがれんと欲したもの、自分が克服せんと欲したものであった。」(同上、P53)

「自分が自分について何もしらないこと、シッダールタが自分にとって終始他人であったのは、一つの原因、ただ一つの原因から来ている。つまり、自分は自分に対して不安を抱いていた。自分から逃げていた!」(同上、P53)

 シッダールタは決意する。

「もはや思索や生活を真我や世界の苦悩で始めるようなことはしないぞ!砕けたかけらの背後に秘密を見出すために、自分を殺したり、切り刻んだりはしないぞ。」(P54)

 ここには、「体験の秘密」の端緒が見え始めている。はじめにアートマン(真我)ありきではないのである。

 シッダールタは放浪の旅の途上で、水に沈んで自死しようとする。その時、「一つのひびき」を聞く。

「それは一つのことば、無意識におぼつかない声で口ずさんだ一つのつづり、あらゆるバラモンの祈りの古い初めの文句と終りの文句、『完全なもの』あるいは『完成』というほどの意味を持つ神聖な『オーム』だった。『オーム』というひびきがシッダールタの耳に触れた瞬間、眠りこんでいた彼の精神が突然めざめ、自分の行為の愚かさ(自死のこと:筆者注)を悟った。」(同上、P113)

 この部分、ヘッセは宗教体験を描こうとしている。しかし、2016年、混迷のさなかにあった当方には、残念ながら「オーム」は聞こえてこなかった。

 当時、相談を持ちかけた知性あふれるインド人の友人に「ヘッセの本を繰り返し読んだけど、『オーム』は聞こえてこなかったよ。」と言ったところ、彼は苦笑いをするだけだった。

 自死しようとするこの描写は想像の産物で、ヘッセ自身も自殺を試みたことはあったかもしれないが、「オーム」が聞こえるといったような体験はしていないはずである。当方、『シッダールタ』が稀有な作品であると考えることに今も変わりはない。ただ、見たり読んだりして「オーム」が聞こえる具体的場面はつかめなかったし、この傑作によって魂は救済はされなかった、ということは言っておかねばならない。

「あの慰めも望みも完全に失った瞬間、流れる水の上にかがんで、死ぬ覚悟をした。あの絶体絶命の瞬間、あれが来ることがなかったら、いつまでも彼はカーマスワーミ(シッダールタが住み込みで働いた商人:筆者注)のもとにとどまり、金をもうけ、浪費し、腹を肥やし、魂をひからびさせ、いつまでも柔らかい快いしとねの地獄に住み続けることができたろう。」(同上、P126)

 さて、シッダールタの到達点は第2部の「オーム」や「ゴーヴィンダ」の章で語られるが、詳細は読んでいただくのが最もよい。ただ、ヘッセが人間の「生」の全面的肯定に傾いていることはつかみとることができる。

 したがって、愛人カマーラとの官能の日々や豪商カーマスワーミとの金儲け体験、後から出てくる子育ての失敗などはネガティブな要素として描かれているようだが、帰着点に至るまでには必要な障害であったのである。「全面的肯定」の「全面的」をこのように理解している。

 ところで、当方の不眠症の方に戻る。

 2016年当時、同様の症状を患う親友や前述の信頼するインド人の友人にも相談した。二人からはヨガを勧められ、試してみると一定の安定感は得られた。インドへの造詣が深いヘッセも、ヨガ愛好者であったという。ともかく、症状の苦痛もさることながら、鬱病患者の実数(統計上数字より非常に多いはず)、その自殺率の高さには恐怖を感じた。

 薬物療法に効果があるとは、先に書いたとおりである。その他、治癒に至るまでいろいろ試し半年ほどかかった。『シッダールタ』ほど高尚ではないが、当方なりの求道体験であったのである。また、宗教的体験があるとすれば、それが苦痛を脱する有力な方法であってほしいと願う気持ちに変わりはない。しかし、既成の宗教に入信せよということではないので、念のため。

 不眠症の具体的な治療方法としては、医療以外には、スポーツやヨガ、太極拳など様々な方法があるし、効果も人それぞれ。自分に効き目があったことを整理してみたい。クスリのことも改めて書きとめておきたい。再発に備えるためのメモながら、治癒に向けてのヒントにでもなれば幸いである。

①規則正しい生活に戻ったこと。過去2度の不調とも、これで心身を回復軌道に戻せた。「結果として」ながら、仕事を生活パターンの中核にして、時間管理をすることが大切。極端に危険とかストレスフルでなければ、どのようなことをするかという内実はあまり関係ない。その際、パワハラや自宅勤務はネガティブな条件になりがちなので、意識して排除することは必要になるだろう。とにかく、種類を問わず、日常生活を支えてくれる仕事や作業を持っているのは、実にありがたいことなのである。

②クスリは一定の効力があった。睡眠薬と抗鬱剤である。自然療法志向の方々には抵抗感があるかもしれない。薬物に頼らずに治ったという方々の話もうかがったが、そのうち幾人かは、表情や挙動を見ると治っていないのでとの疑念を抱いた。上記のアナウンサーの故・小川宏氏などは、はっきりと薬物使用で改善したとおっしゃっている。当方も初めは半信半疑であったが、医師と相談しながら処方を受け、確かに効果があった。なお、医師の説明を思い出すと、正確には「鬱病」という診断はなく、「鬱」はあくまで「症状」であって、対処法も人それぞれなのだそうだ。当方は、鬱と不眠の初期症状、早期に薬で叩けば、完治はせずとも薬を飲み続ける必要はなくなるとのことだった。

③自然に接したこと。特に、「植物」の写真を撮って回ったこと。彼らは動かない。いつも固定した場所にいることが、安心感を与えてくれた。それまで気づかなかった花や木々の立ち姿が見えてくるのは喜びだ。自宅周辺の散歩でもよいが、大きな自然公園にでかけるとさらに気分が回復した。知人の畑で野菜の収穫作業に参加させてもらったことも、ヨガに通ずるとも言える生命体験の一つであった。

④SNSやメールを一時停止したこと。特に、SNS上の自慢話や写真などのポジティブ情報はストレスだった。友人とのコミュニケーションは途絶えるが、治癒後また復活すればよいのだ。このような、一時的な遮断には効果があった。ただし、同様の症状を抱える友人などとのチャットやメール交換などは助けになるし、将来に渡り完全に停止する必要はない。

⑤コマーシャルを見なかったこと。テレビコマーシャルは、不自然な大音量、妙に明るい雰囲気、軽薄なダンスなど、「躁」の押し付けの連続。これには、極めてストレスを感じた。作家の五木寛之氏も、どこかでそんなことを書いておられた。

⑥負の歴史を振り返ったこと。特に、関心を持ち続けてきた江戸期のキリシタン弾圧や世界史上のユダヤ人迫害に関して、記録、文学作品、映画に接した。地獄はこの世にある、自分まだまだ恵まれていると確認できた。遠藤周作原作の映画『沈黙−サイレンス−』(2016)を作ったマーティン・スコセッシ監督は、かつて薬物中毒に悩まされたという。同氏のキリシタン弾圧への関心には親近感を持った。ヘッセのエッセイ編集本『地獄は克服できる』(フォルカー・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、2001年、草思社)も読書効果があった。

⑦俳句や関連本を読んだこと。創作まではしなかったが、好きな芭蕉は、相変わらず心の安定に役立った。その他、現代の俳人のものにもいくつか触れた。特に、秋元不死男氏の作品、著作が印象に残った。

 閉所恐怖症、対人恐怖症なども併発したが、それらは不眠解消ととともに収まった。一人で、飛行機を使って国内旅行ができたとき、ほぼ大丈夫という手応えを感じた。これも宗教体験の一つか。

 ヘッセ自身、離婚、2つの世界大戦など苦難の中で自殺願望を抱いたり、鬱病に悩まされたりした生涯を送った。コンラッド・ルークス監督のことはほとんど知らないが、70年代初頭に小説『シッダールタ』をイメージ化した動機が社会的背景を理由にしてだけだったのか気になるところ。あるいは、薬物依存脱出のために小説にすがったかもしれない。ただ映画になってしまうと、やはり時間の流れを文字による記述よりも速いものに感じさせてしまう難点がある。(もっとも、ヘッセの念頭には時間の超越という観点もあったと思われるが。)映像と文学作品を併せ体験することで、ヘッセの目指したものの周辺ぐらいに行き着くことができるか。不眠症が再発しないことを願いつつ。