偶像の憑依(ひょうい)〜長与善郎『青銅の基督』(1939)
朝夕の暑さが和らいできた。
今年始めを想い起こすと、能登半島地震で驚き、その後、冬の寒さがなかなか立ち去らなかった。長与善郎『青銅の基督』は、桜開花が足踏みする春に読了、この文章もその頃スタート。途中放り出し、この8月終わりに再開し、9月初めに書き終えた。
1月下旬、本作の舞台である長崎へ旅をした。約7年ぶりの訪問である。街中や路面電車には、外国人観光客の姿がチラホラ。JR駅前は再開発中で、景観は大きく変貌していた。名所巡りはかなわなかったが、散策は崇福寺門前などを中心にブラブラと。かつて住んだ隣県佐賀から、しばしば訪れた東西文化混淆の地。思わず懐かしさが、こみあげた。
さて『青銅の基督』。初読は高校生の頃だから、1970年代半ばのこと。その後、50歳近くなって一度読み返し、おそらく今回は3回目。
初版は1923年の改造社版で、1939年(昭和14年)に改訂されているとのこと。手元にある古本は、1949年(昭和24年)発行の新潮文庫第35刷(昭和52年)だから、内容は改訂後のもののはず。改訂前がいかなる書きぶりか知らず。また、作者が筆を加えた理由は調べてない。ただ加筆の時期が、太平洋戦争開始直前に当たるのは少し気になる。
切支丹ものと言えば、芥川龍之介や遠藤周作。北原白秋の詩作にも、ある意味で同系統と言えるかも。現代日本文学ではカトリック作家も散見されるが、狭くは信徒弾圧が題材とするのが切支丹ものと理解している。したがって、芥川『奉教人の死』あたりから始まり、長与作品を経て遠藤『沈黙』というのが古典的なつかみか。
南蛮や鋳物という言葉が、踏み絵につながっていく。偶像が信者を不幸に陥れる。現世の地獄が長崎に繰り広げられる。これが、この作品のクライマックスだ。
踏み絵製作までのプロセス描写とともに、作者は聖母のイメージを形成していく。それは、遊女・君香と裕佐の思慕の対象・モニカという、二人の対照的女性をダブらせながらの表現である。作者は、二つのレンズを用い、画像を浮かび上がらせようとする。互いに異質に見える二つの被写体像が、完全に重なることはない。しかし、一つのフィギュアを追求する意図は、かなりはっきりしている。
主人公の南蛮鋳物師・裕佐には、信心深いキリシタン・吉三郎が対極的に配置される。二人の男は正反対のように見え、実はそうではない、とは当方の解釈。これも、君香とモニカの描き方に似通っている。
ところで、『青銅の基督』というタイトルから、踏み絵はキリスト像である、というのが素直な理解だろう。少々引っかかるのは、筆者・長与氏は作中「基督」ではなく、「ピエタ」という言葉を使っているところである。
「ピエタ」といえば、はミケランジェロの大理石彫刻が有名である。「ピエタ」の意味は、一般的に「死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア像」とされるようだ。ではなぜ、長与氏は題名を『青銅のピエタ』としなかったのであろうか?
深読みすれば、長与氏は「基督」像として、マリアとイエスが一体となったものを示唆しているともいえる。この解釈は、一神教の原理に抵触しそうである。しかし、作家は踏み絵の像の詳細は記していないのである。すなわち、二人の人間を以って『基督』とする説明を避け、像の詳細を語らず暗示に止めたと言えないだろうか。ピエタには、マリアとイエスがいた。君香とモニカが、裕佐とともに処刑場で果てる顛末は、マリアとイエスとの一体の死を表す、その傍証になると考える。
それでは女性像を、君香とモニカの二人を通じて示そうとしたのはなぜか?この小説では、明らかにバイアスは、遊女・君香にある。君香が、マグダラのマリアをイメージして造形されているのは明らかである。そして、モニカはいったい誰?これ以上の説明は要しないであろう。
長与氏は、「萩原裕佐は最後まで決して切支丹ではなかったのである!」(同上124頁)と、最後にわざわざ念を押している。
ここは注意すべきところである。
君香にも「妾は信者ではないのよ。」(同上122頁)と言わせている。
信者と信者でないものの境界。それはどこにあるのか?
無意識の信仰心は、裕佐の心象に止まることができず、踏み絵という物体に乗り移った。偶像の憑依(ひょうい)である。実像と錯覚させるほどの、聖母とその子の虚像が信者の命を奪った。
最後に、『青銅の基督』は偶像の、人知を超えた力を表現しようとしていると感じたものの、当方に納得感はないことを付け加えておく。