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異文化の葛藤と浸透~井田真木子『小蓮の恋人』(1992)

 中国残留孤児の問題が、昨今マスメディアなどでとり上げられることは少なくなった。

 標題にある井田真木子氏のノンフィクション作品は、残留孤児二世の若者たちの、一世である母親の故国・日本への移住後の生活や変転を中心として、ある時代の断面を描いている。

 実は、どういうきっかけでこの本を読もうと思ったのか、最近のことなのに、よく覚えていない。読書開始はつい1ヶ月前なので、中国のことをWebか何かで検索していて、惹かれるところがあって図書館に予約申し込みをしたものと思う。

 恥ずかしながら、著書の井田氏の名前も全く知らなかった。ただ、他作品のいくつかのタイトルには記憶があった。

 この記録作品は、残留孤児の一世と二世で構成される家族が、90年代初頭、中国と日本の狭間で悪戦苦闘する姿を活写している。日中戦争後、30年以上を経た当時にあって、同化政策や言語・文化の相違に苦戦しながら、残留孤児だった母親と彼女の中国人の夫、そして彼ら夫婦の子供たちが日本移住後、自らの道を切り開いて行く姿の危うさ、と同時に、たくましさが描かれている。

「残留孤児二世は、どのようにして孤独に陥るか。」(文藝春秋版P130)

 井田氏曰く。30年前の日本では、「それは、まずなによりも日本人との共生を無計画に強いられることによってひきおこされる。」(同書P130)

 ここでは、日本の教育、特に公立小中学校の日本語学級に焦点が絞られる。そして、日本語学級教諭の義元幸夫氏の、転任の不利益処分性を訴える係争についての記述が続く。

 本書では、異文化理解だけでなく、90年代初頭の中国への日本企業進出の描写も見られる。井田氏は、日本の中堅商社の北京支店に現地採用された中国人社員に語らせながら、こう書く。

 「1996年(原文ママ)の香港返還を前にして、これまで香港に置かれていた日本企業の支店が北京に場所を移し替えつつある。」(同書P298)

 日本企業の進出を背景に、日本語学習の位置づけも変わる。

「以前にも中国の大学生の中には、日本語熱が存在した。だが、今回の日本熱(原文ママ)は、単純に語学に対する興味を超えて、より実務的だ。」(同書P298)

 さて、中国と日本の関係を今ここで振り返る必要はあるまい。また、その後の北京と中国、それから香港の状況も、不完全な情報に基づくにせよ、推し量ることはできる。

 井田氏の著作を読んで、残留孤児の問題が引き継ぐべき負の遺産であったにせよ、見方によっては、90年代初め、日中両国の人々の間には、極めて人間らしい往き来があったということができるのではないか、と思った。

 もちろん、問題が解消されたとするのは時期尚早であり、今の時代にあっても、当事者の方々の辛苦について軽々しく語るべきではない。

 しかしながら、コロナ禍で国々が分断されつつある中、戦後をまだまだ引きずっていたあの頃、歴史に翻弄されたとはいえ、喜びや哀しみは、今よりも豊かで起伏に富んでいたと感じるのは、私だけだろうか。

 

 

 

 

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