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なくなるカミとすべるペン
電子書籍が出始めの頃、私は断然「本は紙派」だった。
ページを捲るという動作に意味がある、書籍の厚みや重みも楽しみの一部、本のインクや紙の匂いが感性を刺激する。…今も、その考えが消えたわけではない。
ただ、紙派〈だった〉と過去形なのには理由があって、単純に、電子のメリットに気がついたからだ。そのメリットの恩恵を、日常で大いに受けている。
場所は取らないし嵩張らない。思い立ったらすぐに開ける。ページを進めるのに、紙を捲るかスワイプするかの微々たる違いで、別に書物の内容が変わるわけではなかった。
美容院にいくと、最近は雑誌ではなくタブレットを渡される。タブレットだと、「よし、ラッキー♪」と思う。
目の前に、年齢と性別によってカテゴライズされた数冊の雑誌を置かれるよりも、タブレットの中から今まで知らなかった雑誌を見つけるのがちょっとした楽しみなのだ。
髪が、グレージュとやらに染められているあいだ、一つの表紙が目に止まった。
ガラスペンが欲しい。
ガラスペン?ガラスペンかぁ…。
うん、私も欲しい。
直感的に、そう思った。
表紙があまりにも綺麗で、ワクワクしたから。
タップしてみると、その正体は『趣味の文具箱』という雑誌。
万年筆を使ったペン習字は中学生の頃少し習ったことがある。ペン先にインクをつけて文字を書くガラスペンは、それとは随分勝手が違うらしい。
ページをめく…いや、スワイプしていくと、あらあら、なんとも面白いじゃないか。ガラスペンの世界。
冗談やノリではなく、本当に欲しくなってきたぞ。
美容師さんよ。髪が染まって、「どうですか?」なんて聞かないでくれ。私は早くガラスペンが欲しい。
どうしようもなく、あのペン先で何かを紡ぎたくて仕方がないのである。
思い立ったら吉日。
帰ってネットで検索すると、出るわ、出るわ。
ガラスペンの数々。インクの色もたくさんあるのか。
初心者なのに高級すぎては気後れすると思い、1300円ほどのインク付きを購入した。
2日後。試しに自分の名前を書いてみる。
ほうほう。こんな感覚か。
面白い。
ペン先がガラスだから、紙の上をすべるすべる。
インクの付きはじめと、かすれはじめがなんとも言えない「味わい」に感じる。自分が初めて生み出した文字なのだから、味わいというより「情」かもしれない。
何か猛烈に書きたくなった。
何かを伝えたい相手は、みんなスマートフォンの中にいて、手紙を送るしかないような人は誰一人として思い浮かばない。ちなみに、相応しい文章も思い浮かばないときた。こんなに書きたいのに、書きおこすものが何もないとは。絶対絶命である。
ペン習字の練習法をもとに、ネットで有名な小説を検索してみる。
文章を、模写することにした。
すっかり集中していた。
文字を模写しているあいだ、思考は「書き写すこと」に特化され、余計な感情が一才なくなった気がしたのだ。
気持ちいい。
ペン先がすべる、すべる。
掠れてきそうと思いきや、ちょっと角度を変えればまたインクがじんわり滲みだす。角度をうっかり間違えると、紙の繊維に引っかかる感じがあるのがまた良い。「文字を生み出している」という感覚になるのだ。フリック入力ではない、私だけの、私の文字。
なるほど、これがガラスペン。
なるほど、なかなか【沼】だな。
私はこれから、毎日ガラスペンで何かを書くことにしよう、と思った。そして無心になれる時間をつくり、自分自身と向き合う時間を作ろう。そうすれば何かよく分からないけれどなんだか脳に色々な作用をもたらしてくれるかも…。
と、いうのは淡い幻想で。
実際、有名な文章を書き写すのは文字通りの三日坊主だった。いちいち無心になる時間なんて与えていようものなら、日々の生活なんて回りゃしない。
ただ、私は未だにふと、あのすべるペン先を想う。
誰かに訴えたい時、何かを吐き出したい時、
あのペン先で、何かを紡いでいけないものかと。
インク瓶に浸す瞬間、なんとも言えない神聖な気持ちになるのだ。
私の周りで消えゆく「紙」文化。
今はただ、あの美しい文具のためだけにでも
永遠に存在していて欲しいとさえ思う。
(読んでいただき、ありがとうごさいました。)