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「個性」を叫ぶのは、もうおしまいにしよう。

思い出はいつか色あせる。

というフレーズがあるように、

言葉も、だんだん色あせていくものだと思う。

たとえば、「個性」という言葉がある。
今の時代、よく耳にする単語だ。

今、日本では
“子どもたちの個性を伸ばすため”の教育を
いろんな偉い人たちが推し進めている。

「個性」という言葉の色が
もともと赤だったとしよう。


この言葉が世の中に出ると、

いろんな人があらゆる場面で使い、
本が出版されたり、
新しい仕組みが生まれたりする。


人から人へ、
どんどん「個性」が広まっていくたびに、
その色はだんだん薄くなる。



“色が薄まる”というのはつまり、
言葉自体の価値が失われていく
ということだ。


今の人は、「個性」のもともとの色を知らない。
「本当はこんなに鮮やかな赤なんだよ!」
て言ってくれる人も本もあるのに、

見ないフリしてどんどん水を足して、
色を薄めていっちゃう。

今は多分、これくらいの薄さ。


うん、かなりうっすいや。



言葉は、広がれば広がるほど
簡単に使われるようになる。

それと同時に、その本当の意味も、価値も、
失われていってしまう。




すげえややこしいことを言う。

これから私たちが生きていく世界で
「個性」を「個性」と呼ぶのは、もう古い。

本来の意味からだいぶ変化してしまったこの言葉を、このまま使い続けるのはけっこう危ない。

これ以上、「個性をだいじに」とか叫んでも、
響く人は少なくなっていく。


「個性」のもともとの意味を知り、

そもそもなぜ、「個性」が叫ばれ始めたのか
を知ることが、

直近でやるべきミッションだと、
私は思う。


大昔の偉い人たちが遺してくれた、
たくさんの本を読む。

「個性」のほんとの色を知る。

言葉ができた当時のことを知る。

料理はできたてが1番ウマい。
出来たてのウマさを知らずに、
冷めた方が美味しいっていうのはおかしい。

それと同じ。


…まあ人によるかもしれないけど。


「個性」が持っていた価値や意味を
改めて認識してから、うーんと悩む。

あの赤を、今の時代にふさわしく表すには
どんな言葉が適切だろうって。


そうやって悩んで考えて、

あたらしい表現が
生まれてくるんだと思う。




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