【適応障害になった大学生】 私の思考の保管場所
「私の思考の保管場所」という名前のメモを作った。
もうすでにご存知のとおり、私は考えることをとにかくやめられない人間だ。
常に頭の中で誰かと対話をし、自分と見つめ合っている。
「なぜそれが好きなの?」「なぜいま腹が立ったの?」etc……
それは一人でいる限り絶え間なく繰り返され、私は常に答えのない問いと向き合っている。
だけど、それでは脳が休まらない。
今の私には体の休息以上に、心や脳の休息が必要なのだ。考え続けている限り、心と脳はひたすらに疲弊していく。
ではどうすればいいのか。
前回のカウンセリングでは、マインドフルネスを教えてもらったと書いた。
だからといって、21年かけて習慣化されてきたものは簡単には変わらない。
カウンセラーさんには、1日のうち決まった時間だけ、例えば30分をタイマーで測りながら、その時間だけはひたすらに考えても良いというやり方を提案された。
しかしながら、私は勉強にしろ何にしろ、とにかく時間で区切られるのが嫌いなのだ。
時間で区切られると、中途半端になってしまったり、集中力を削がれてしまう。
そこで、一人で考えていいことと、一人では考えてはならないことに分けてみることにした。
ふと、何か思いついたとき、その場でそれを思考することは一旦保留にして、メモに書き出しておく。
その中から、思考してもネガティブに陥らないものを選んで、1日1つ思考する。そして、言語化しておく。
逆に、考えたら不安になったりネガティブになったりしそうなことは、カウンセリングで解決する。もしくは、元気になってから考える。
例えば、昨日の「てりたま」の話は別に考えたところで辛くはならない。
だけど、家族のことや自分の過去のことは、考えれば考えるほど悲観的になってしまう。だからそれは一旦保留。
これを始めて2日足らずで、メモ帳にはたくさんのテーマがメモされているので困っているのだけれど、このやり方は意外と私に合っている気がする。
結局は頭を使っているので、良いのか悪いのかよくわからないところはあるが、まぁ文章を書くことは気晴らしになるので良いことにしよう。
そして、意外にも私のnoteを毎日読んでくれている友人たちがたくさんいるらしい。
こいつ、日常的にこんなこと考えてるのか、変なやつだなと思いながら、ぜひ私の頭の中の世界を覗いてみてくれると嬉しい。
私のちょっと拗らせ気味な感性や価値観は、なかなか他人と共有できない。
いや、私のこの素敵な世界は私にしか感じられないから尊いのだとも思っている。
(めんどくせぇー!と私も思ってるのでみんなも思っていいよ。)
言葉は感情に及ばない。
だから、私の見ている世界は、言葉になった瞬間あまりに多くのものが取りこぼされていく。
それはすごく悔しい。
けれど、私がどんなに素晴らしい執筆家になろうとも、言葉は完璧ではない。
だから美しいのかもしれない。
たとえ完璧でなくとも、私の世界から生まれた文章を読んで何かを感じたり、読むことを楽しみにしていてくれる人がいるというのはとてつもなく嬉しい。
そして、書くことで私の心は死んでいないのだと自覚することができる。
ちゃんと、それを確かめたいし、世界を悲しいと思ったり美しいと思ったりすることができることを、喜びたい。忘れたくない。
といいつつ、今日は私の感情というよりも、メモみたいな日記だな。
明日は心が動くようなことを書こう。
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