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【うつになった大学生】    母の傷を癒す。

入院生活が終わる。もうすぐ4ヶ月になるところだ。

結局、わたしは母と暮らすことを受け入れた。

ありとあらゆる人に反対されたけれど、それでもわたしは母のそばにいることを受け入れることにした。

しばらくの間、両親と連絡を取ることを禁止されていた。

そのためにスマホも没収されて、外出禁止にもなっていた。

それは、わたしと母の共依存を断つためだった。

会えない時間の中で、母は自分と向き合ってくれているのではないかという淡い期待を抱いていた。

母はいつも、自分で勝手にやったことなのに、わたしがそれに応えないと、「あなたのためにこんなにもやったのに!」と誤った怒りをぶつける人だった。

そしてわたしも、「母はわたしのためにやってくれているのだから応えなければ」という呪縛に苦しんできた。

先生との約束を破って母に連絡を取った日、母は病院に帰るなと言った。

もう病院から脱走していいから家に帰ってきなさいと。

その瞬間、わたしは母がこの時間の中で自分と向き合うことはせず、先生や看護師さんたち、外に向けて怒りを撒き散らしていただけなのだと知った。

先生は、わたしが変わらない限り親は変わらないと言った。

本当にそうなのだろうと思う。

けれど、今のわたしには、親を変えるだけの勇気と元気はない。

だから、向き合うことから逃げて、母の元に帰ることにした。

今まで通り、母を傷つけないよう、母の顔色を伺って、母の傷をわたしが癒す。

入院して、だいぶ調子は良くなった。

息が吸えるようになった。

けれど、わたしを苦しめていた母との関係は結局何も変わらないまま退院することになる。

それでいい。

少なくとも、母が実家に帰るまでの1ヶ月ちょっと、わたしが耐えれば、母を傷つけることなく済ませられるのだ。

わたしには、母を傷つけてしまうことが一番怖いし、一番悲しい。

だから、母のもとに帰るのも辛いけれど、母から離れることもまた辛いのだ。

それが共依存ということなのだと思う。

先生は、「いつか変わりたいと思った時、またここに来ればいよ」と言ってくれた。

「嫌われる勇気」をわたしが持てた時、再び母と向き合うことになるのだと思う。

それまでは、1日1日を耐え忍びながら過ごせば良い。


退院に向けて、お世話になった作業療法士さんに葉書を作って手紙を描いた。作業療法士さんのお名前で詩を書いてみたりした。喜んでくれるといいな!

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