【うつ病になった大学生】 止まない雨も明けない夜もあるのだけど、傘をさして歩き出す。
希死念慮の波、手強い。
去ったと思った矢先に、また来る。もうそこまできているのを感じるので、ビクビクしながら過ごしている。
わたしはいつの間にこんなになってしまったんだろうか。
「普通」という感覚をもうすっかり忘れてしまった。
今日はふと、先週末の本番のことを思い出していた。170人で歌ったあの素敵な舞台のことを。
大好きな音楽と大好きなホールで歌っていたあの瞬間だけは、わたしは全てのことから解放されて、本当に幸せを心から感じることができていた。
だから、わたしはあの瞬間に戻りたくてたまらない。
どうして、わたしはあのとき、あんなにも純粋な気持ちで詩を楽しむことができていたのか、全く思い出せない。
けれど、170人の熱量と、先生の指揮とピアノと、ホールの響きと、何もかもに背中を押されながら歌ったあの瞬間、間違いなくわたしは自由だった。
何も恐れず、負の感情にとらわれず、全身を音楽に揺さぶられながら、詩を歌っていた。
わたしは人よりも感性が優れているのだろうなぁということに、最近ようやく気がつきはじめた。
わたしを「天才肌」だと言ってくれた人もいる。
わたしのそれは、天性のものというよりも、これまでのレッスンや読書体験で培ってきた、わたしだけが見つけた宝物だと思っているが、もしかしたら、幼い頃から神経質な子どもだったことを考えると、そういういろんな要素がわたしの感性の構成要素となって、わたしの心となっているのだろう。
アンコールで歌った、中島みゆきの『時代』
わたしの大好きな曲の一つだ(わたしはこう見えて?昭和歌謡が好きだ)。
編曲もさることながら、出だしの歌詞が今のわたしにはどうしても響く。
もう一生このままなんじゃないか。
もう二度と心の底から幸せだと思うことができないんじゃないか。
そんな気持ちになることが多々ある。
うつ病に、「完治」はないと思っている。きっと、波が大きくなったり小さくなったりして、その小さい時期を伸ばすことでしか生きていけないのだろうと思っている。
そうやって上手く付き合っていくしかないのだ。
「明けない夜はない」という言葉が、NHKの某うつ病の番組の最後で取り上げられた。
わたしは、この病気になってから、「止まない雨はない」と言われたことがある。
言いたいことはわかるが、結構心を抉られた言葉だった。
わたしたちのような人は、多分、止まない雨の中で傘をさしたり、雨宿り先を見つけたり、時にずぶ濡れになりながらも、必死に歩いていかなければならないのではないだろうか。
極夜があるのだから、世界には明けない夜はあるのだ。
それを、東経135°付近に暮らす我々は知らないだけで、確かに存在していて、そこにも人が工夫をしながら暮らしているのだ。
等閑視しているとまでは言わないが、わたしたちは多くのものを見落としてしまっているのだろうなと思う。
わたしだって、うつ病にならなかったら、精神疾患を抱える人たちのことを見えないことにして生活していってしまっていたかもしれない。
ほんの些細な出来事で、見えるようになるのだ。そして、共感することができるようになる。わたしはそれはとてつもない優しさだと思うし、それをほんの少しでも手にできたことは嬉しい。
やっぱり、言葉は難しい。わたしが、先の言葉を言われて傷ついたなどという気はない。それは、その人がわたしのことを心から思ってわたしにくれた言葉だから、わたしも受け取りたい。
でも、NHKの番組をきっかけに、同じような違和感を感じた人と話したことで、少し書いてみたくなった。それだけ。
今日は近いうちにやってきそうなうつの波と、低気圧に殺されかけながら、通院をしなければならなかった。
傘をさしながら、ずぶ濡れで病院に行って、薬をもらった。
傘をさしても、下手くそだから、傘が小さすぎるから、どうしても濡れて冷たくなってしまうのだ。
でも、雨を凌げる場所があって、体を温めてくれる場所があるから、わたしは傘をさしながらでも雨の中を歩けるのだと思う。
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