【適応障害になった大学生】 希死念慮さん。
希死念慮さん
いる。
うっすらと漂っていることもあれば、メラメラと燃えていることもあるし、どんと居座っていることもある。
春休みに入る前の、超絶追い込まれていた時期は、毎晩、毎朝この希死念慮さんに苛まれていた。
それは濃く、強く、祈るように私の中に存在していて、大通りを通る時には「ここで道路に飛び出せば」と考えたし、屋上を見ると「ここから飛び降りたら」と考えた。
「何階から飛び降りたら失敗しないのだろう」、「失敗したらどうなるんだろう」とたくさんネットを漁った。
自分が死んだ後の世界のことを考えた。
とりあえず、誰のせいでもないんだよって伝えてから死のうと思った。
春休みに入っても、パニックになると希死念慮さんはやってくる。
だけど、最近は少し穏やかな気がする。
やんわりとした未来への絶望に包まれて、呆然と消えてしまいたいなぁと思ったりする。
あぁ生きている限り頑張り続けなければならないなんて、そんなの絶望だ。
もう何もやりたくないよ。
明日も明後日も、こんな無意味な日々を積み重ねては絶望して、悲しくなると思うと、人生がわからなくなる。
生きている意味とか、そんなものは考えた方が負けなんだろうなと思いつつ、私は未来に希望を抱けない、それだけ。
やりたいことがないわけではないけど、別にやらなくてもいい気がする。
それより、この絶望を断ち切ることのほうが希望に思えてくる。
別に今すぐ死にたいわけじゃない。だから心配しないで。
だけど、私はこの先も、このやんわりとした生への絶望と、死への希望を抱えながら生きていくのかなぁということに気がついてしまった。
今この瞬間の喜びや楽しさは感じるけれど、それは生きる意味にはならない。
未来に確かな希望を見出せない限り、この希死念慮は消えないのだろうか。
ちょっと傲慢だなと思う。
こうなる前までの自分が、何をあんなにキラキラしながら毎日を生きていたのか、全く思い出せない。
とにかく、私の未来は希望に満ちていて、幸せになると確信していた。
あの私はどこに行ったんだ?
この先取り戻せるのか?
はじめましての頃はあんなにも寒気がしたのに、最近は心に定住し始めた希死念慮さん。
今はもう「死にたい」って言葉がすんなり心に入ってくるんだよ。
別に今すぐ死んでやろうなんて思ってないけど、確実に私は「死にたい」と思っている私を受け入れ始めているんだよ。
それがいいことなのか悪いことなのか、今の私にはわからないけどね。
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