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【うつになった大学生】    心底どうでもいい。

わたしはわたしに正直にここに文章を書いているつもりだ。

最近はそれすらも難しくなって、なかなか更新できずにいるのだけれど、それでも、ここに書く以上は偽りなく書こうと思っている。

辛いも苦しいも悲しいも寂しいも、楽しいも嬉しいも、全部書く。

文書を書けないのだという文章を書く。

わたしは、わたしに関して本当の言葉を持つ唯一の存在でなければならないのだ。

そこを妥協した文章に価値などない。


わたしの心はこれまでも、ずっと叫んできたのだと思う。

ずっと寂しかったし、ずっと助けて欲しかった。

こうなる直前にだって、わたしは母親にSOSを出していた。それを軽くあしらって跳ね除けたのは、紛れもない母自身だ。

それでいて、今さら「あなたの味方だよ」、「頼って」と言う。

そんなのは無理なのだ。遠の昔にわたしは心を閉ざしているのだから、頼り方なんて忘れてしまった。いや、初めからそんなもの知らない。

だから、母親の前では笑うのだ。

病院に面会に来てくれても、わたしは何も本当のことは語らない。

ただヘラヘラして、大丈夫だからと言うばかり。

大丈夫なわけないだろう。わたしの心や過去は入院したって、薬を飲んだって、何にも変わらないのだから。

結局母は、いつもわたしの表面しか見ない。

本当に聞いて欲しいことは、何ひとつとして尋ねてはくれない。母も恐れているのだ。わたしと同じで。わたしに触れることを恐れている。

「愛している」と言いながら、その手はわたしに触れようとはしない。

わたしも、「抱きしめて」と言いながら、母の手を拒み続けている。

捻れた関係だ。

わたしは今さらそれをどうにかしたいとは思わない。どうでもいい。

一生をかけて上部だけの関係を守り抜くのだ。愛想笑いを続けて、本当の言葉を封印して、大丈夫なふりをする。

わたしが死ぬのが先か、母が死ぬのが先か、ただそれだけのゲーム。

本当のわたしなんてものは、わたしにだってわからないのだけれど、少なくとも死にたいと思っているわたしは正直だと思う。

希死念慮に取り憑かれている時だけは、わたしの素肌に触れられる気がする。

最近は死のイメージに取り憑かれて、頭がいっぱいになる。

そう、入院したって、結局何も変わってないじゃないかって、わたしが一番そう思っているのだ。

1ヶ月この箱の中にいても、薬を飲んでも、話を聞いてもらっても、希死念慮は消えない。

退院したって、結局前のような生活に戻っておしまい。

この地獄から抜け出したいと思っているのかどうかさえもわからない。

全てにおいて、自暴自棄だ。心底どうでもいい。

わたしが生きようと死のうと、それすらもどうでもいい。

わたしは正直に書く。

わたしはまだ全然大丈夫なんかじゃない。


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