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【適応障害になった大学生】  私の中の「痛み」と柔らかい強さ


ずっと、弱っている自分を受け入れられなかった。

些細な一言にくじけて、そこからボロボロといろんなものが崩れていったこの数カ月。

「ずっと頑張ってきたからだよ」

そう言われても、私はこんなにも弱かったのかと、自分で自分に心の底から失望した。

これまでの私は、とにかくタフだったと思う。

大抵のことはうまくかわしてきた。

パワープレイで人生を進めてきた。

常にストレッチゾーンにいなければ気がすまないし、挑戦し続けていない自分には価値がないと思ってきた。というか、今も思っている。だから頑張れない今が苦しい。

「今のあなたの心は骨折している状態です。歩けなくて当然だし、歩いてはいけません。エベレストから滑落したのです。」

そうカウンセラーさんから言われた。

どうやら、私はエベレスト登頂に失敗してしまったらしい笑

抑うつ状態にいるときや、パニックに陥っているとき、自分が二人いるみたいだと、そしてそういう自分に名前をつけたというnoteを書いた。


最近、少し腑に落ちた考え方がある。

それは、今まさに、弱っている私が、傷んでいる私が、「私」になっている最中なのだということ。

これまでパワーでなんとかしてきた私にとって、今は人生で初めて自分の意志ではどうしようもない状況に置かれているときなのかもしれない。

初めて「痛み」を知った。

それは、私にとって学びであったし、ある意味嬉しいことでもあった。

「痛み」を知ったから、もっと優しくなれると思ったし、強くなれると思った。

今まではただ強くてタフだった私が、傷み、弱ったことで「痛み」を知り、その強さは柔らかさを手に入れたような感覚なのである。

そう思ったとき、二人いるようだと思っていた自分たちが、すっと一つの線の上に乗っかるような気がした。

私はずっと、自分を優しくない人間だと思ってきた。そういう自己否定が私の底にあることをカウンセリングで指摘された。

もしかすると、今私が感じている「痛み」は、その自己否定から自分を解放するために必要なものなのかもしれない。

カウンセリングでは、自分が否定し続けてきた黒い過去を再解釈してみることを提案された。だけど、その先に過去の自分と今の自分、未来の自分が一直線につながる未来は想像できなかった。

私は、自分の過去を消すことでしか、この呪縛から開放されない気がすると話した。

だけど今、その呪縛から開放されるかもしれない希望がある。

それはつまり、過去の自分と今の自分を完全に切り離してしまうことにもなるのかもしれないけれど、とりあえずはそれでもいいと思っている。

まだまだ、向き合わなければならないことはたくさんあるし、私の認知は歪みまくりだと思う。

だけど、いろんな自分を知って受け入れていくという行為は、強くなりたいと願う私にとってとても大切な成長だった。

もしかすると、私は傷んでいる私が案外好きなのかもしれない。

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