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在野研究一歩前(25)「読書論の系譜(第十一回):宮武南海「○讀書の心得」(東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』東京學舘獨修部、1893)①」
今回から数回に分けて、東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』(東京學舘獨修部、1893)中の一論稿である、宮武南海「○讀書の心得」を見ていきたいと思う。そこで、まずはじめに、「宮武南海」と「東京學舘」について簡単な説明を加える。
「宮武南海」は、『滑稽新聞』発行、風俗史・新聞史の研究で知られたジャーナリスト・宮武外骨(1)の兄である。「東京學舘」は、その南海が経営していた学校である。この点については、『学海燈影 一名 学生必読』内にある坪内雄蔵(2)の序文に「南海宮武君コゝニ感アリ夙ニ有名ナル私塾ヲ開キテ後進ノ薫陶ヲ力メテヲラレシガ此タビ又更ニ少年ノ為ニ有益ナル論文数篇ヲ蒐録シテ之ヲ世ニ公ニサルゝコトゝナリヌ」(3)との言及があることからも確認できる。
本書は表紙において「東京學舘編輯」となっているが、巻末の「發行兼編輯者」には「宮武南海」の名がある。南海は「東京學舘」の代表者として、本書の製作においても中心的な役割を果たしたと言えるだろう。
それでは以下より、宮武南海「○讀書の心得」の内容を見ていく。
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「學生諸君の書を讀むに當り心得可きの條件数個あり
第一、讀書するときは決して他の事物を聞見思考することなく心の注ぎ眼の赴く所唯だ其書籍の一面に在らしむ可し若し忽然として他の想像の浮み來りときは斷然其讀書を廢し其想像を心中に畫き了り心裏を洗滌し虚心平氣をなるに及びて後ち再び其讀書に從事す可し其間若し他人傍に在りて談話するもの我が耳に入りて讀書の思想を混ずることあるときは兩掌を以て左右の耳穴を蓋ひ少しく音聲を張揚げて讀む可し然らば他の談話の我が耳朶に入るを防ぎ得て其讀書の思想を害せらるヽの憂ひなかる可し然るを若し他の事物を聞見思考しつヽ讀書せば其書を見て視ゑず其書を讀て其意味を知らざる可し別章に論ずる不留意の百讀は留意の一讀に若かずと云へるは之れが爲めなり又一言を添へんか曰く不留意の遅讀は留意の早讀に若かずと。」(P12)
⇒今回取り上げる本書では、学生が「読書」に励む上での「心得」が四つ示されている。一つ目に示された心得を簡潔に纏めれば、「他のものごとに気を紛らわすことなく、読書すべし!」となる、言い換えると、「読書するときは、読書だけに集中せよ」である。
「気を紛らわす」原因として、傍人の話し声があげられている。この話し声の対処法として、両手で左右の耳穴を蓋って、声を張り上げて本を読むことが勧められている(読んでいて、思わず笑ってしまった)。
最後に「不留意の百読」=「そこまで集中せずに多くの本を読む」よりも、「留意の一読」=「集中して一冊の本を読む」方がよい、また「不留意の遅読」=「そこまで集中せずにゆっくり読む」よりも、「留意の早読」=「集中して速く読む」方がよい、としている。
以上で、「在野研究一歩前(25)「読書論の系譜(第十一回):宮武南海「○讀書の心得」(東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』東京學舘獨修部、1893)①」」を終ります。
お読み頂きありがとうございました。
(註)
(1)宮武外骨については、砂古口早苗『外骨みたいに生きてみたい―反骨にして楽天なり』 (現代書館、2007)を参照。
(2)坪内雄蔵(逍遥)については、大村弘毅『坪内逍遥』(吉川弘文館、1987)を参照。
(3)東京學舘編輯『学海燈影 一名 学生必読』(東京學舘獨修部、1893、P4)。