古本市のない生活①「買わなくて後悔するぐらいなら、買って後悔しよう」
5月1日。
本来であればこの日から、京都市勧業館「みやこメッセ」で「春の古書大即売会」が開催される予定であった。
だが、新型コロナウイルス感染症の影響により、他の様々なイベントと同じく、古本市は中止となってしまった。
精神的なダメージは大きい。
私にとって京都の古本市に参加することは生き甲斐であり、心の拠り所となっているからである。
このような心境にある人は、きっと私だけではないと思う。昨年の古本市の会場の熱気を頭に思い浮かべてみれば、「古本市ないのか……」と残念がる人々の姿が簡単に想像できる。
ただ、どんなに嘆き悲しんだところで、古本市が中止になったという事実は変わらないし、比較的ご年配の来場者が多い古本市のことを思えば、今回の判断は適切なものである。
私としては、せめて「春の古書大即売会」の会期中(5月1日〜5日)ぐらいは、ひたすら「古本」のことだけを考えていたいと思い、これから5日連続・1日一回、古本にまつわるnoteを書いていくことに決めた。
内容は、自分の蔵書の中から、古本にまつわる文章をいくつか引用してきて、それに簡単な感想を付すという、あまりに素っ気ないものである。
読んでくださった方が、1日のうち数秒でも「古本」について考える契機となったらいいなー、と思う。
それではさっそく書き始めたい。
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○今回の一冊:林望「逃した魚」(『増補 書藪巡歴』ちくま文庫)
「書物は一期一会である。
少なくとも、そういう了簡でなければ思わしい書物を手中にすることはできぬ。
といっても、べつに私自身は大した蔵書家ではない。私の書庫にあるのは世にいわゆる珍書貴籍のたぐいではないからである。古書界の第一人者だった弘文荘主故反町茂雄さんあたりに見せたら、きっと、
「林さんのところの口は、こう申してはなんですが、モウあまり御手元に余裕のない御集めぶり、学者さんの研究用とでも申しましょうか、手前どもの商売の目から見ては殆ど見るべきものもございません」
とでも言って寧ろ憐愍の微笑を浮かべられるだろうような「普通書」ばかりの山である。
それは私が長らく手元不如意の貧書生生活だったからで、ああ、あれが欲しいなぁと思ってもとうてい手が出ないということが多かったのである。しかしながら、それが必ずしも悪いことばかりだったとは言えないというのが、この書誌学という学問の面白いところである。」(P10~11)
林望さんのこの文章を読むたびに、私の「古本との向き合い方」を見つめ直せる。
私は古本が好きであるが、それが特段「珍書貴籍」である必要はない。もちろん、「こんな本、見たことないぞ!」と思って購入した本が、結果的に珍書であったということは今までに何回かあったが、「珍しい本だから買う」という考えは頭にない。あくまで、自分の興味関心のある本や研究のための史料として必要な本を手に取る(引用文中の言葉を使えば、それらの本は「普通本」ということになるのだろう)。
「私はまだ学部の学生で、当時はもっぱら西鶴の研究に携わっていた。
そのころ、旅行で奈良に行った。旅も終り、いよいよもう東京へ帰るという日の午後、奈良の裏町をぶらぶら歩いていたら小さな古本屋があった。場所も名前ももはや覚えていない。冷やかしに棚を眺めていると初印でこそないけれど、原装の『風流曲三味線』が完全揃で出ていた。値は僅か三千円とあった。その頃の私は江島其磧などには一向に興味も知識もなかったので、それが法外に安いことに恥ずかしながらついぞ思い至らなかった。それで財布をさぐると四千円あまりある。もはや帰る間際ではあり、切符も買って持っていたのだから、いまから思えば有り金をはたいて買えばよかったのである。しかし、私は「ま、いいか、今日のところは」と思ってしまったのだった。その本のことはそれなり忘れてしまっていたが、やがて私は江島其磧を研究するようになり、こういう本の価値を遅ればせながら認識するようになって、あぁしまった、と思い出した。今仮にこれを買おうとすれば数百万の単位に違いない。ただし金の問題ではないのである。そうではなくて、せっかく縁あって巡り合った書物を、私の不見識から手に入れずにしまった、そのことが悔やまれるのである。それ以来、私は只今特に必要のない本でも、巡り合ってなんだか縁のあるありそうな本は、多少の無理をしても買うことにしたのである。」(P15~16)
もう一つ、文章を引用してみた。
ここでは、林望さんが学部時代に経験した「買っておけばよかった」話が展開されている。
似たような経験は、私も何度も何度も経験している。
「どうせまたどこかで買えるだろう」とか「他の店でもう少し安く購入できるだろう」と思っていたら、もう二度と「その本」とは出会えなかったということはザラにある。
最近は、古本購入の鉄則として、「買わなくて後悔するぐらいなら、買って後悔しよう」というのを徹底しているつもりだが、それでも値段と持ち金を天秤にかけて、「うーん、無理して買わなくていいか」と購入を断念することはある。「もう少しお金に余裕があればなー」と思いながら、古本市の会場をあとにするときのあの侘しい気持ちは、なかなか辛いものがある。
今後も「後悔」の旅は続きそうだ。
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