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あふれる水の流れ|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第10回『あふれる水の流れ』では、四十にして人生最大の惑いを抱えた男性が小学生時代に過ごした土地にふと寄り道し、懐かしい滝の音に触れて再生の一歩を踏み出します。(ひととき2022年5月号「あの日の音」より)

「幼い頃過ごした場所を、ひとりで訪ねてみたいんだけど」

 電話越しに僕が言うと、

「そう、いいんじゃない。行ってきなさいよ」と妻は明るく言った。

 あっさり、同意してくれたが、心の内では、おそらく心配してくれているんだろうなと思った。

 最近の僕の不安定な言動に、敏感な妻が気づかないはずはなかった。四十にして惑わずとはいつの時代の話だろう。僕は40代半ばにして、人生最大に惑っていた。

 岡山で仕事を終えた僕は、鳥取に向かった。

 圧倒的な緑の匂いに包まれる。鳥取県智頭ちづちょう。岡山県との県境に近いこの町は、手つかずの深い森を有している。芦津あしづけいは、多くの落葉樹の中に、スギやヒノキなどの天然の常緑樹を受け入れる珍しい森。細い山道を進む。無数の鳥の声が響き、新緑が陽の光で輝く。

 小学2年生から6年生までを、この町で過ごした。母は病弱で、幼い弟や妹の世話で手一杯。僕だけ、母の弟、つまりは叔父さんに預けられたのだった。

 確か、この谷の奥に、滝があるはずだ。記憶を手繰り寄せようとするが、かすかな糸口も見えない。滝を見たい。あの滝の音は、寂しさを忘れさせてくれた。

 僕の惑いの原因は、高校時代の友人のメジャーデビューだった。彼、高梨とは、バンドを組んでいた。バリバリのハードロック。僕たちは、大学に進んでも活動を続け、そこそこライブ会場を埋められるまでにはなったけれど、僕はプロになるのは無理だろうと思っていた。高梨は諦めなかった。バンドを離れ就職を選んだ僕とは違い、ひとりで曲を書き、ギターの練習を続けた。

 そんな高梨が、ついこの間、デビューしたのだ。「遅れてきた新人」としてマスコミに取り上げられ、僕にも取材依頼が来た。

 動揺した。僕が選ばなかった別の人生がそこにあった。かすかな後悔も押し寄せる。高梨から連絡があった。彼は言った。

「俺はおまえと一緒にやりたかったんだ」

 音が聴こえた。滝の音だ。ゴオオオオ、ゴオオオオ……。

 木々の間に、姿を現した三滝。落差21メートル。豊かな水量が一気に落ちる。

 サラリーマンをやっている自分が好きだ。夢を諦めて仕方なく選んだ道ではない。今の仕事に誇りを持っている。なのに、心がざわつくのはなぜだろう。ふと、叔父さんが、この滝を見ながら発した言葉を思い出した。

「いまは、ひと筋、あるいはふた筋だがなあ、水の量が減ると、3つの筋になってしまうんだ。だから、三滝。水の量が少なくなると、あれだなあ、迷うんだなあ、水も、どっちにいったらいいか」

 そうか、と思う。僕はいま、水の量が減っているんだ。だから、惑う。心に水を貯めよう。そうすれば、目の前の滝のように……。ゴオオオオ。水の流れをひとつにまとめられる。

 幼い頃聴いたのと同じ滝の音に包まれながら、僕は、あふれる水の流れを見ていた。

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2022年8月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2022年5月号

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