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【巾着田曼珠沙華公園】500万本のヒガンバナが彩る幻想的な風景と、1300年の歴史の地層(埼玉県日高市)

四季をめぐるはおもに関東地方にある花の名所を訪ね、季節の移ろいをお届けする連載コラムです。今回は、500万本のヒガンバナが見頃を迎えている埼玉県日高市の「巾着田曼珠沙華公園」をご案内します。10月9日まで、美味しい地酒や地元のグルメなどが楽しめる「巾着田曼珠沙華まつり」が開催されています。

この世のものとは思えない──。
そんな大袈裟なフレーズさえもしっくりとくる幻想的な風景に出会いました。

ここは埼玉県日高市にある花の名所「巾着田きんちゃくだ曼珠沙華まんじゅしゃげ公園」。この日は約500万本あるというヒガンバナが一斉に見頃を迎えており、平日にもかかわらずたくさんの人で賑わっていました。

数は少ないものの白いヒガンバナもあり、燃えるような赤とのコントラストはじつに鮮やか。木漏れ日を浴びたヒガンバナが際限なく広がる光景は、まさに圧巻のひと言に尽きます。

最寄駅は、西武池袋線の高麗こま駅。池袋駅から急行に乗って揺られること約50分、飯能駅で秩父方面の電車に乗り換えると、まもなく高麗駅に到着します。

西武鉄道・高麗駅

高麗という地名は、かつて朝鮮半島に存在した「高句麗」に由来します。西暦668年に唐と新羅の連合軍によって滅ぼされ、日本へ渡ってきた高句麗の人々。関東の各地に住んでいた彼らを武蔵国に集め、716年にその一帯を高麗郡(現在の日高市を中心とした地域)として設置したことが『続日本紀しょくにほんぎ』に記されています。

巾着田は、そんな彼らが蛇行する川の流れを利用して水田を営んだと伝わる場所。1300年の歴史の地層の上に咲く曼珠沙華の花を眺めながら、国を滅ぼされた人々の悲しみや、安住の地を得て暮らしてきた彼らの長い歳月にしばし想いを巡らせました。

巾着田を囲むように流れる高麗川
巾着のような地形から名付けられた「巾着田」

美麗な古民家

曼珠沙華の群生地を抜けて公園を出ると、「高麗こまごう古民家」に向かいました。ここは江戸時代にぬしを務めていたという新井家の邸宅。石垣と白い塀で囲まれた広々とした敷地には、明治時代に建てられた母屋や客殿、土蔵などが美しく保存されています。

国登録有形文化財
「高麗郷古民家(旧新井家住宅)」

日和田山の意外な表情

巾着田の北側には、日高市のシンボルとも言われる標高305メートルの日和田ひわださんが横たわっています。

この日和田山、遠目には穏やかな表情をしていますが、いざ登ってみると意外や堆積岩のゴツゴツとした険しい表情が随所に現れます。男坂と女坂、どちらのルートを登っても30分ほどで山頂に辿り着けますが、体力に自信のない方は岩場の少ないなだらかな女坂をおすすめします。

左に進むと岩場の多い男坂
右に進むとなだらかな女坂
男岩おいわ

山頂の近くに鎮座する金刀比羅ことひら神社からは、蛇行する高麗川に囲まれた巾着田の特徴的な地形が一望できます。

金刀比羅神社
日和田山から見た巾着田

さっきまで巡っていた場所を俯瞰して眺めると、まるで魂だけ移動してきたような不思議な気分になりました。“この世のものとは思えない”光景を目にした後だから、尚更なのかもしれません。

曼珠沙華の里

今回、巾着田を訪れてみて驚いたのは、公園内だけでなく歩道の植え込みや民家の軒先など、至るところにヒガンバナが群生していたことです。

皆さんも巾着田を訪れる際はゆっくりと時間をかけて街を散策し、“曼珠沙華の里”の奥深い魅力を堪能してみてください。

文・写真=飯尾佳央
撮影日=2024年10月2日

巾着田曼珠沙華まつり
◇開催日時:令和6年9月18日(水)~10月9日(水)
      午前9時~午後4時30分
◇会場:巾着田曼珠沙華公園内
◇入場料:有料期間中のみ一人500円
◇公式サイト
 https://hidakashikankou.gr.jp/manjushage/

<参考文献>
高麗郡建郡1300年の歴史と文化(日高市HP)
巾着田の歴史(日高市巾着田管理事務所)
日高歴史名勝ナビ(日高市役所)
『鶴ヶ島町史・通史編』(1987年、鶴ヶ島町)

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