アテネ、古代ギリシャまで徒歩3分、いや30秒|藤村シシン(古代ギリシャ研究家)
古代ギリシャに一番近い部屋に住んでみたい。
古代ギリシャオタクの私はそういう憧れを持っていて、ギリシャ・アテネでアパートを借りてみたことがある。パルテノン神殿まで徒歩3分の物件だ。
いや、神殿まで3分とか言われても、それの何がすごいの?という方には、「東京の主要駅まで徒歩3分、夜景を見下ろす究極の都心ライフ」という響きを想像してもらいたい。古代ギリシャではそれがこれだ。パルテノン神殿は紀元前の街の中心だった。これぞ「アテネの主要神殿まで徒歩3分、アクロポリス(神殿が立つ街中心の丘)を見上げる究極の古代ライフ」なのである!
ちなみに、歴史上は哲学者プラトンの父が住んでいたコリュトス地区付近である。貴族の邸宅が数多く、古代ギリシャでは港区みたいな場所だった。
つくづくアテネは古代を感じさせてくれるすごい街だと思う。
パルテノン神殿まわりの景観が2500年前からあまり変わっていない。紀元前5世紀に職人たちが石を積み上げ、ノミを打ちこみ、仕上げの彫像が施された瞬間から、神殿はあの丘に建ち続けている。古代という時代が終わった後も、神殿は100世代に渡る人々の生活を見つめ続けてきた。そのパルテノン神殿を今、私が見つめ返している──。
私はベランダでパルテノン神殿を見上げながら、ひとり静かに感傷にひたる……
……というわけにはいかなかった。
なぜなら外が爆裂に騒がしいからである。
アテネの街の人々は深夜2時まで陽気に飲んで歌って踊っており、絶え間ない笑い声が階下の街角から響き上がってくる。こんなにパルテノンが近いのに誰も見ていない。
悠久の時に浸る究極の古代ライフ、思ってたのと違う。
このことを地元のギリシャの友人に伝えてみると、思いもよらない答えが返ってきた。
「せっかくそんなに繁華街の近くに住んでいるのに、なんで歌って踊らずに石を見てるの?」
「え?いや、繁華街じゃなくてパルテノンに近い物件だから選んでて……毎日パルテノンの丘に登りたいし」
「私なんてパルテノン神殿には生まれてから一度も行ったことがないよ。観光客ばっかりで混んでるでしょ」
バカな。東京都民は近すぎて東京タワーに登ってない理論がアテネにもあるというのか!?相手はパルテノン神殿だぞ!
そう思いつつ、重要な論点に気付かされた。──これ、古代でもそうかもしれない。
古代ギリシャ人も生まれた時からパルテノン神殿が近くにあるわけだから、そんなに見つめてないんじゃないか?本当の古代ギリシャライフとは、パルテノン神殿の存在を意識せず、自然体で歌って踊ることなんじゃないのか……!?そうですよね!?ここに住んでいたプラトンのパパもそうですよね!?
さて、今夜もベランダの外からは楽しげな笑い声が聞こえてきた。階下に降りてしまえば、パルテノン神殿は他の建物に阻まれて全く見られない。神殿を独り占めしている私の方が圧倒的に古代に近い、と思っていた。しかし今夜はもう違う。
私は階段をかけ降り、徒歩30秒のレストランに向かった。
つくづくアテネは古代を感じさせてくれるすごい街だ。
文・写真=藤村シシン
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