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【井波彫刻】木槌の音が響く町、井波彫刻のみなもと(富山県)

富山県南西部、なみ平野の南端に木彫の町があるのをご存じでしょうか? 精巧で躍動感のある深彫りが特徴の「井波彫刻」の町、井波です。室内を飾る「欄間らんま彫刻」が有名で、2018年には「宮大工ののみ一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」として日本遺産に認定されました。日本一の木彫の町の歴史をたどって、風情ある町を歩きます。(ひととき2023年6月号より

綽如上人が開いた瑞泉寺

井波には木彫刻の長い歴史が流れ、現在も100人をこえる数の人が制作に携わっているという。まさに日本を代表する木彫刻の聖地である。そのみなもとが八日町通りに導かれる古寺であると聞いてきた。真宗大谷派井波別院瑞泉ずいせんだ。

瑞泉寺へと続く八日町通り。奥に見えるのは八乙女山
八日町通りとそれに続く本町通りでは、木彫の看板探しがおすすめ。店主の干支をモチーフにした看板で、中には、親子二世代なのだろうか、ふたつの干支看板を掲げる店もある
干支に仲間入りできなかった猫の木彫が通りの随所に隠れているのは、井波の町の遊び心。全部で30ほどあるという

 山門が見えてきた。瑞泉寺は、砺波市と南砺市にまたがる高清水たかしょうず山系の北端である乙女おとめやまを背にして立っている。

瑞泉寺の山門(県指定重要文化財)。江戸時代中期、1762(宝暦12)年の火災で焼失し、1809(文化6)年に再建された。門の上部を飾る彫刻「雲水一疋龍」は、京都の本願寺御用彫刻師、前川三四郎の手によるもの(写真上下)

 輪番りんばん(別院の最高責任者)の常本つねもと哲生てつおさんに訪問のごあいさつをする。背筋の伸びた立派な体格であり、きわめて物腰の柔らかな高僧の常本さんに、瑞泉寺の開創について教わる。

瑞泉寺輪番の常本哲生さん

「室町時代の前半、浄土真宗の宗祖親鸞聖人から数えて五代目にあたる綽如しゃくにょ上人が、京都から地方教化へと旅立ちます。越中のここ井波を選んだのは、この土地が太子信仰に篤かったからとされています。宗祖が聖徳太子を深く敬っていたことから、この地で太子信仰とともに歩んでいく浄土真宗を開いていきたいと望まれた」

 現在の瑞泉寺の立つ地の近くに草庵を結んだ綽如上人だったが、京都でも賢者として知られており、あるとき朝廷の依頼で出向き、明の時代の中国から送られてきた難解な文書の読み解きを委ねられる。

「伝承の逸話です。文書の内容は、富士山を分けてくれ、というものだったとか。そんなことできるわけないやろ。さあ、困った。そこで綽如上人、ある返書を提案したという。富士山を包む風呂敷を送ってくれたら、包んで送ります」

 頓智とんち問答みたいだが、ともかくそのとき取った綽如上人のあざやかな対応が高く評価され、当時の後小松天皇より認められた寺院すなわち勅願所ちょくがんしょとして建てることを許されたのが、この井波の地だったといわれる。瑞泉寺、開創だ。では、ここが井波彫刻発祥の寺というのは……。

「下って江戸中期、宝暦の世のことです」

再建で技が芽生える

 井波には、井波風という風が吹く。

 春先に背後の八乙女山から吹き下ろしてくる局地的な強風。2日か3日快晴がつづいて天気が下り坂になりかけるころに多いという。一種のフェーン現象*らしいが、八乙女山にいくつも風穴があり、そこから吹くと信じられていて、鎮めるための堂が建てられた。その名もかんどう

*山を越えて吹き下ろす高温で乾燥した風のために、付近の気温が上昇する現象

 風は火をあおる。過去にもそれが吹いたときに火が出て大火になったことがあり、井波の人びとは火を恐れてきた。

 井波風の日ではなかったが、瑞泉寺も開創から現在まで3度の火災に遭っている。

 1度目は越中一向一揆*の中心寺院という理由で戦国時代の武将、佐々さっさ成政なりまさの焼き討ちに遭った。長い歳月をかけて復興するが、2度目は江戸中期、3度目は明治時代、ともに失火で被害は甚大だった。

*戦国期、本願寺一向宗の門徒が守護大名や戦国大名に反抗して起こした宗教一揆

 井波彫刻の発祥となったのが、2度目の江戸中期、宝暦の世の火災だった。猛火によって壊滅状態となる。再建をめざし、京都から本願寺御用彫刻師の前川三四郎が派遣されてきた。もともと井波には寺社建築の技術レベルの高い大工がいたが、京都の彫刻師という人の登場はおおいに刺激的だったはずである。番匠屋九代七左衛門ら4人の地元大工が前川三四郎の仕事に参加し、活動をともにする。それまで大工仕事の一部だった彫刻が独立した技の分野としてあることは新鮮だっただろうし、その表現力の大きさに度肝を抜かれたことだろう。そして、たっぷり吸収する。こうして井波彫刻という種子はこの地の土に植えられた。

 習得した技法を咀嚼そしゃくし、磨き上げ、高めていき、次第に井波らしい彫刻が芽を吹き始める。大火のほぼ30年後の制作とされる瑞泉寺勅使門「菊の門扉」とその門の両脇の柱の「獅子の子落とし」は番匠屋九代七左衛門の代表作となり、わが国の彫刻史に残る傑作とされている。

瑞泉寺勅使門
扉の両小脇を飾る「獅子の子落とし」には、谷に落ちる子とそれを見つめる親の姿が刻まれている

文=植松二郎 写真=荒井孝治

ーーこのあと、本誌では瑞泉寺山門の欄間彫刻についての一つの伝承をご紹介します。地形的に風が強く、歴史的にも大火を経験してきた井波の人々の切なる願い、それを体現したかのような龍の彫刻。この土地で井波彫刻が生まれ、受け継がれていくのにふさわしい、強い思いが伝わります。現在、4年に一度は国際イベントが開かれ、海外からも認められる井波彫刻。次世代の彫刻師たちによる活躍、その美しい木彫り作品もぜひご覧ください。

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目次
●パート1 井波彫刻のみなもと
●パート2 前へ進む井波彫刻
 前川大地さん・田中孝明さん・石原良定さん
●エピローグ 木のやさしさが浸透するまち

井波別院瑞泉寺
[住所]南砺市井波3050
[拝観時間]9時〜16時30分
[休]無休
[拝観料]大人500円、中学生以下無料
☎0763-82-0004 
https://inamibetuin-zuisen-ji.amebaownd.com/

出典:ひととき2023年6月号


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