ウミガメに会える島~小琉球|『旅する台湾・屏東』より
台湾の地図を眺めていて、高雄南方の海域に記された「小琉球」という島の名を初めて目にしたとき、沖縄から遠く離れたこの小島にどうしてこんな名がついているのか、ずいぶん不思議に思ったものだ。
琉球(または流求)とはそもそも、歴代の中国王朝が用いた、現在の沖縄諸島と台湾を含めた地域の呼称だった。15世紀に「琉球王国」が成立すると、明朝は沖縄諸島を大琉球、台湾を小琉球として区別した。清朝の時代になり、「台湾」が台湾本島の正式な名称に定められると、それまで名前を持っていなかったこの小島に、小琉球という名が与えられたという。
珊瑚礁の隆起によってできた周長わずか12キロほどのその島は、ウミガメの産卵地としても知られている。ぼくはまだウミガメをこの目で見たことがなく、9年前に訪れたときにも見つけられなかったので、今度こそはと期待をこめて、本島側の玄関口である東港へ向かった。
観光客でにぎわう「華僑市場」に隣接する東港碼頭から、年配の台湾人がよく履いている青と白のゴムサンダルにそっくりな色彩の船に、バイクごと乗りこんだ。運営会社の藍白航運は2021年に就航したばかりで、船も新しく快適だ。
25分ほどで、島側の玄関口である白沙尾漁港に着いた。ライダーたちが髪を風になびかせて気持ちよさそうに駆けていく。台湾の離島ではノーヘルでバイクを運転する人が多いが、本島と法律が違うはずもなく、罰金を科されることも少なくない。
民宿「正好友生態環保旅店」で、ホストの蔡正男さんに会う。蔡さんは生まれも育ちもこの島。経営の傍ら、長年にわたって野生生物を記録しており、「国家環境教育奨」というコンテストで一位を獲ったこともある、超一流のエコロジー教育者でもある。
「今の時期、ウミガメは見られますか」
「1年中いつでも見られますよ」
「どこに行けば会えるでしょうか」
「どこでも会えます。午後に連れて行ってあげましょう」
自信たっぷりに答えた蔡さんと出かける時間を決めてから、市街地をぶらつく。日曜の昼過ぎで、にぎわいは墾丁*以上だ。地元の庶民料理を食べてみたくて、蔡さんに薦めてもらった郵便局近くの蔡媽媽という食堂に寄る。店先の調理台で中年夫婦がせわしなくチャーハンをテイクアウト用の紙パックに盛りつけている。どのテーブルにも食器が無造作に置かれたままで、お昼時の繁盛ぶりと混乱ぶりをものがたっていた。ぼくも台南で5年ほど日本蕎麦屋をやっていたから、そのしんどさは身にしみてわかる。比較的皿の少ない席に座り、注文表の「鬼頭刀魚炒飯」と「海藻」にチェックを入れて店の人に渡す。先客が2組おり、1組があとの予定に間に合わないと言って店を出ていくと、すぐにチャーハンが運ばれてきた。彼らが食べるはずのものだったろう。
鬼頭刀魚は日本でシイラと呼ばれている。突き出たおでこと、曙光の差す空模様のような美しい体色をもつ大型肉食魚だ。チャーハンに混ぜられたそれは、甘辛く味つけされた黒っぽい干物で、おそらくはタレに漬けたあとで日干しにしているのだろう。ご飯がすすむ味わいだ。赤茶色の海藻にニンジンと酢を和えたものも、外見はあまりそそるものでないが、コリコリ、さっぱりしていて美味しい。食器を重ね、テーブルを拭いてから勘定した。
民宿に戻り、蔡さんの案内でウミガメウォッチングに出る。はじめに連れていってもらった場所は島のシンボルである花瓶石のすぐ近く。蔡さんは海に目をやると、ものの数秒で「あそこ」と指さした。
「えっと……どこでしょう?」
「石にそっくりなので、注意深く見てみてください」
波が引いた瞬間、黒い甲羅がくっきりと現れた。長い尻尾に足、さらに頭も。見失うまいと目をこらしながらシャッターを連射した。
「あれはアオウミガメのオスですね」
「どこでわかるんですか?」
「尾の長いのがオスで、短いのがメスです。あそこにもいますね。あ、あっちにも」
5分と経たぬうちに蔡さんは7、8匹ものウミガメを発見した。ウミガメマスターとでも呼びたくなる。
つづいて訪れたのは、主要道路から細い坂を下った先にある小さな漁港。隣には白く美しい砂浜があり、ロープで区切られている。波止場でおじさんが鳩の群れを餌付けしている。鳩たちはときおりバサバサと一斉に羽ばたき出したかと思うと、低空を旋回して、また元の位置に戻っていく。
「私はこの港が好きなんです。のんびりしていてね」
「砂浜は立入禁止なのですね」
「ウミガメの産卵地なんです。シーズンはもう過ぎてしまいましたが。ウミガメの性別は砂の温度で決まります。31度以上だとメスになり、28度以下だとオスになる。なのでもしメスが増えていたら、それは温暖化が進んでいることの証。ウミガメは人間にいろいろなことを告げてくれる、天の使いですよ」
へえー、とぼくは感心するばかり。
「この港には数十のウミガメが住んでいます。傷を負ったカメや老いたカメはこういう安全な場所を好むし、漁師が獲ってきた魚の一部を捨てたりするので食料にも困りませんから。ほらあそこ、あ、ここにも」
ぼくらが立つコンクリートの波止から目と鼻の先に、びっくりするほど大きなカメがいた。尻尾が短いのでメスだろう。甲羅にはうっすらと苔が生え、相当齢を重ねていそうだ。深みに潜ったかと思うと、やがて水面に顔を出し、プハッと息を吐いた。貫禄のある理知的な顔つきをしていて、天の使いどころか彼女自身が神様ではないかとさえ思えるほどだ。その「ウミガミ」様は、ぼくらの足元まで泳いできて、壁面の苔をつつき出した。
「こんなに間近で見たのは数カ月ぶりです」とウミガメマスターまでもが興奮したほど、ラッキーな出会いだった。
その後、蔡さんの人生談も聞かせてもらった。以前は高雄で仕事をしていたが、お子さんを故郷の大自然のなかで育てたいとの思いから帰郷したという。ギビさん*夫婦と同じ理由だ。
台湾には郷土を愛し、日々何かを学び取り、かつその土地のよさを守っていくこと、外に伝えていくことを使命としている在野の賢人が、津々浦々に存在する。ぼくがこの旅のあいだ、最も感銘を受けたのはこの点だ。そういう賢人たちの多くは、人生の一時期を都市や海外で過ごしたあと、何かをきっかけに自発的に郷里に戻り、生き甲斐を見出している。まるで大海原を縦横無尽に旅するウミガメが、産卵の時期になると、必ず生まれた砂浜に回帰していくように。
文・写真=大洞敦史
◇◆◇ 本書のご紹介 ◇◆◇
『旅する台湾・屏東』
一青妙 , 山脇りこ , 大洞敦史 著
2023年11月20日発売
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