自分から離れる夜|モモコグミカンパニー(作家)
8月の半ば、夏の思い出を作ろうと京都へ一人旅に向かった。昼は、天橋立を観光、その後はそこから電車で一時間ほどの海の近くのホテルに足を運んだ。
17時頃ホテルに到着して、ディナーを楽しみ、少しお酒も入っていい気分になって部屋に戻った後、ホテルの温泉に入ろうと準備をした。
温泉は、広い庭を数分歩いたところにある別館まで行く必要があった。
外に出ると、もう随分日が暮れて空は真っ暗。誘導灯に草木が照らされて、とても幻想的に淡く輝いていた。庭には、所々にリクライニングチェアや、テーブルの近くにソファが置いてあったりする。それらは野晒しになっていたので雨に濡れてしまったら大丈夫なのかと少し心配になりながらも、温泉を出たらここで何か書けたらいいなと思った。作業道具は持ってきているし、まだ書き途中のエッセイもある。それに今のところ他の人もいないし、とても静かで集中できそうだ。
私は文章を書くとき、環境を重視することが多い。落ち着ける喫茶店で書くこともあれば、散歩の途中で見つけた公園のベンチに座って書くこともある。環境を変えることによって、また違う言葉が出てくるから面白い。この旅でも、いつもと違う言葉を残しておけたらいいな、と思っていた。
温泉であたたまり、部屋に帰り荷物を置き、いつも使っているキーボード付きのiPadと水の入ったペットボトルを持参して、夜の海を眺められるソファを選んで座った。目の前には焚き火があり、ちょうどキーボードを打てそうな明るさで照らしてくれている。ペットボトルの水を一口飲んで、iPadを広げ、文章アプリを開いた。
夏真っ盛りで昼間は直射日光に体力を奪われていたが、ディナーでのお酒の火照りもだんだん冷めてきたし、湯上がりの身体に少し湿気を含んだ重たい風が吹いてきて気持ちよい。まるで心の汗も乾いていくような気がした。心が張り詰めていたり、心配事があるとき、身体と同じように心も汗をかいているような状態だとしたら、たまにはそよ風にでも当たらせて、こうやって乾かしてあげることも必要だろう。
キーボードから手を離し、少し硬めのソファに身を委ね、目を閉じた。
昼の透き通った海とは対照的に、夜の海はとても静かで底知れない感じがする。
水面を魚が跳ねた音。
月あかりに照らされたその海の水の温度を想像したりした。
旅では、出会う全てが一期一会だからこそ、日常の断続的なものとは違い、本質に触れられる機会が多いのだと思う。
本質といえば、人は別れ際に本性が出ると聞いたことがある。
人が何かから離れるとき、その人にとって今まで周りにあったものは全て他人事となる上に、自分のこれからのことばかりに気を取られてしまうからだろう。
では、自分から離れた時、自分自身の本質が見えてくるのではないか。
日々の仕事はなんとか締め切り通りに終わらせているけれど、忙しない毎日の中で締め切りのない自分の課題はなかなか答えが出ない。私は私の本質に向き合っているようで向き合えていないのかもしれない。むしろ、背中を向けてそこから一生懸命逃げている気もする。
だからこうやって、いつも自分が身を置いている環境から一旦離れて、自分を自分から切り離して、答えの出ない物事を自分事から他人事に180度変えて向き合ってみる。すると、いつもより多面的に物事を考えられていることに気がつく。
もちろん、「自分を自分から切り離す」なんてかなり難しいことだし、もしかしたら不可能なのかもしれない。
だけど、今日だけは、今夜だけは。
そう思いながら、考えつくままにキーボードの上で指先を動かした。
ふと、顔をあげると薄くて眩い月が目に入った。今日は三日月みたいだ。
ここにくる前、東京の月は一体どんな形だったか覚えていないし、また明日になったら月の形を意識することはほぼないだろう。
それでも、今夜の月の形は忘れないんだろうな。
なんとなく、そう思った。
文=モモコグミカンパニー
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