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私が旅に出る理由|瀬尾まいこ(作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2024年12月号「そして旅へ」より)

 今ではどうやっても信じられないのだけど、社会に出てから30代までの私は、休みが取れれば海外に行っていた。航空券とホテルだけを取って、深く考えもせずさくっと身軽に。

 行った国は15カ国は超えている。そのころは、海外旅行が趣味だった。何でも自分の目で見たいと思っていて、海外に行くだけで開放的な気持ちになり、現地の人とふれあってその地の空気を感じるのは最高だと思っていた。

 今振り返ってもその日々は、楽しく……ではなくぞっとする。途中下車できない飛行機に乗っていただなんて正気だろうか。知らない国でいざってことが起きたらどうするつもりだったのだろうか。「旅」が趣味? 家ほど安心できる場所はないのに何を言っていたのだ。今、海外に行けと言われたら、卒倒してしまうだろう。

 数年前、私はパニック障害になった。発症直後は症状がひどく、乗り物やエレベーターなどは恐ろしい存在だった。

 子どもがいるから家にいてばかりはだめだと勇気を振り絞り、近場に出かけようと試みては、途中で発作を起こし引き返すことも多かった。

 私の夫は寝ているか草野球に行くかしかしない、のび太をそのまま大人にした人間なのだが、

「あらまあ」と気にもせず引き返してくれる鷹揚おうような人で、うきうきしていたはずの子どもも、「また今度だね」とけろりと言ってくれた。

 のん気な家族に救われつつ、気長に薬を飲みつつ、理解ある周りの人に支えてもらいつつ、時間をかけながら今ではパニック障害とも上手に付き合えるようになってきた。

 そんな私は、去年から頻繁に旅をしている。

 3種類のパニック障害用の薬に、頭痛薬・胃薬・腹痛薬と氷水を持ち、新幹線にだって乗っている。見たいものはないし、触れたい空気がある場所もない。多数の薬を鞄に入れてでも新幹線に乗るのは、会いたい人がいるからだ。

「見たいもの」「触れたいもの」以上に「会いたい人」の持つパワーはすごい。安全基地である家から私を簡単に引っぱりだしてくれるのだから。会いたい人は、恋人や憧れの人ではない。書店員さんだ。そう。私の旅先は全国の書店である。

 私は書店が大好きだ。書店にはいろんな世界への扉を開いてくれる本が、ぎっしりと並んでいて、それぞれの書店ごとに特色がある。そして、書店員さんは本を読者の方に届けてくれる大事な存在だ。本がどうすれば売れるのだろうとあれこれ考え、実践しておられる。アイデアと行動力にあふれているからだろうか。いつもどこかうきうきしている魅力的な人が多い。だから、単純にお会いすると楽しく、またすぐに書店に伺いたくなる。

 これから、どれだけの書店員さんに会うことができるだろうか。少しでもたくさんの書店員さんとお話ししたい。

 書店巡りの「旅」。それが今の私を動かしてくれる一番のものだ。

文=瀬尾まいこ
イラストレーション=駿高泰子

著者の新刊『そんなときは書店にどうぞ
(12月20日発売予定)

出典:ひととき2024年12月号

瀬尾まいこ(せお・まいこ)
作家。1974年、大阪府生まれ。2001年、『卵の緒』で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年同作で作家デビュー。19年『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)で本屋大賞受賞。『夜明けのすべて』(水鈴社)など著書多数。12月20日に新刊『そんなときは書店にどうぞ』(水鈴社)発売。

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