「鬼」はなぜ、神様として描かれるようになったのか|小寒~大寒|旅に効く、台湾ごよみ(4)
明けまして、おめでとうございます。
昨年の秋に始まったこの連載「旅に効く、台湾ごよみ」も、早いものでもう第四回目。昔の人の知恵が盛り込まれた二十四節気は、辛い冬の中に必ず生命萌え出ずる春が含まれていることを伝えてくれます。
まだまだ日台の往来の見えない昨今ではありますが、この連載を通じて少しでも台湾の季節の移ろいを知り、身近に感じて頂ければ幸いです。
(栖来ひかり)
急激に冷え込んだ、この年末年始。
寒気はもちろん台北にもやってきて、12月30日の朝には22度だったのが夜中には5度、つまり一日の間になんと17度も気温が急降下した。
台湾の冬は日本より短く、10度以下まで気温が下がることも少ない。だからエアコン設備も冷暖房でなく、冷房一択がほとんど。あとは簡易の電気ヒーターや防寒服でしのぐが、今回の寒気は湿度も吹き飛ばしてくれたらしい。台北独特の嫌な寒さでないのは幸いだった。
鼻から吸い込む空気はさらっとヒンヤリ、なんだか冬の日本の空港に到着したみたい。台湾で希少な雪景色が観られるので有名な合歓山でも、早めの積雪があったらしい。これで紅白歌合戦でも見ながら年越しそばでも食べれば、気分は完全に「日本の年越し」では?とウキウキしていると、周りの台湾友人も「何だか日本にいるみたい」とはしゃいでいる。
人間の皮膚感覚の記憶ってすごいなあと改めて感心させられるが、或いは2020年の一年間で、想像力や発想の転換力がずいぶん鍛えられたおかげかもしれない。
「七草粥」のわらべ歌
西暦で年が明け、初めて迎える二十四節気は「小寒」。今年は1月5日で、これから一か月は一年で最も寒い時期だ。更に15日間ある節気を3つの季節に分けたのが「七十二候」だが、日本の気候に合わせてアレンジされたのはこちら
・芹乃栄う(せりさかう)
・水泉動く(すいせんうごく)
・雉初めて雊く(きじはじめてなく)
最初の候は、日本でちょうど正月七日目の「七草粥」をつくるころだ。京都に住んでいたとき、働かせてもらっていた京料理屋さんの店長が、七草を包丁で叩いて刻むのに「京都では、こんな歌うたうねん」とわらべ歌を教えてくれた。
“七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン”
後で調べてみると京都だけでなく、江戸時代には日本のあちこちで歌われていたらしい。唐土とは、中国大陸のこと。中国の鳥がインフルエンザといった疫病や害虫を日本に運んで来ませんようにと、一年の息災への願いを刻む七草に込めたのだ。中国の土地は広大で、多様な気候と生き物、食文化がある。人も多く農地も広いので、昔から様々な疫病や害虫が発生しやすかった。古来より、暦をはじめ多くの文明が中国から日本へと伝わったが、疫病もまた鳥などを介して日本まで運ばれることを、昔の人は経験として知っていたのだろう。
科学的な知見が多少は発達した現代でも疫病は繰り返し起こっているし、これからも起こるだろう。過去の疫病は「七草粥」の文化を日本に残したけれど、コロナ禍はこの世界にどんな文化を残すのかな?と感じる今年の小寒である。
神様として描かれる「鬼」
台湾の廟に行くと、門の裏側に「門神」と呼ばれる神様の絵が描いてあるのを見かける。たまにそれが「二十四節気」のことがある。それぞれの節気が、武将や童子、仙女、龍神など24種のキャラクターで描き分けられているのだ。
わたしが初めて見た「二十四節気」型の門神は台南の林百貨店*から歩いてすぐの小さな廟だったが、台南、高雄、雲林など主に台湾南部で多くみられるようだ。
*林百貨店:山口県出身の林方一が、日本統治時代の1932年に台南に創立した台湾で二番目の百貨店。現在はリノベーションされ、特産品販売の施設「林百貨」として賑わっている。
ここで質問。24人の神様の中で、4人(たまに3人)が「鬼」(グエイ/亡霊や餓鬼のこと)として描かれている節気があるのだが、どの節気かおわかりだろうか?
答えは、夏の暑さが一年で最も極まる「小暑」「大暑」、そして寒さの極まる「小寒」と、その次に来る節気「大寒」(今年は1月20日)だ。
中には「小寒」が鬼ではない廟もあるが、「大寒」はだいたい共通して鬼である。しかもただの鬼ではない。大きな氷の塊を持って頭の上に掲げ雲に乗り、恐ろしい形相をしている。顔も緑色で怖い。
「どうしてこんな表現になったのでしょう?」と台湾民俗学が専門の研究者・台北藝大の林承緯教授に尋ねてみると、「ちょうど良い論文がありますよ」と送ってくださった。
見ると林先生の教え子・林祐平さんの修士論文で、台湾の二十四節気の人物表現がテーマという。ものすごくタイムリーである。
林祐平さんによれば、これは台湾民間信仰の中の「亡霊崇拝」と関係があるのではないかという。
漢民族は古来より、霊力の高い人を死後に祭り神格化することで崇拝対象としてきた。孔子や関羽がその一例だが、更にもうひとつ、人間の神格化として台湾で厚く信仰を集める「孤魂信仰」というのがある。海難事故や非業の死を遂げた「荒ぶる」魂が祟ることを恐れて祠や塚を造り、なだめ、逆にその霊力にあやかろうとするものだ。台湾の民間信仰における「神」とは、信心や尊敬というよりむしろ、死への恐怖心から生まれた存在なのだ。例えば、とある祠の近くに原子力発電所が出来たとき、その工事の途中で不具合や事故が沢山発生し、祟りと信じた多くの人がその霊力を求めて集まるようになり、今では大変豪勢な廟となっているという。
また、台湾の漢民族文化のルーツとなっている中国福建地方は、その亜熱帯気候の温度と湿度のために風土病が蔓延しやすく、漢の時代より「疫病の地」として知られていた。疫病とは“疫を司る神”(疫神)の仕業でもあると考えられていたので、その神を奉り敬うことによって、疫病を鎮めてくれるよう願ったのだ。更には疫病の流行しやすい季節が夏と冬であることから、「大暑」や「大寒」が鬼=疫神の姿で表されるようになったのではないか、林さんはそう論じている。
日本にも似たような亡霊崇拝はある。学問の神様となった菅原道真公でお馴染みの「御霊信仰」、そして疫病神といえば京都の八坂神社を始め、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る“祇園信仰”が代表格だろう。
台湾に「春の訪れ」を告げる花
小寒・大寒といえば、宋の時代に出来た「二十四番花信風」というのがある。小寒から穀雨(4月20日頃)までの節気に咲く、24種の“花だより”である。
長江下流南岸(江南)の気候を元にしたオリジナルは、
小寒:梅花、山茶、水仙
大寒:瑞香(沈丁花)、蘭花、山礬(ハイノキ)
もっと南に位置する台湾のこの時期の「花信」といえば、サクラである。1月の終わりごろから台北郊外の陽明山などに登れば、頬紅をさしたような“山桜花”(寒緋桜/タイワンザクラ)が常緑の山々を彩る。台湾の、春節の訪れを感じさせる花だよりである。
そんな訳で、この節気の台湾七十二候は
・合歓山しろく積もる
・春節の準備で忙しなく
・山桜笑う
文・絵=栖来ひかり
栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。