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【静岡市立芹沢銈介美術館】林家たい平さんと楽しむ駿河和染

静岡で生まれ育った染色工芸家・芹沢銈介けいすけは、染物をはじめ地元の職人たちにいまも多大な影響を与え続けています。世界的に高く評価される芹沢の作品やその思想に触れるべく、彼を敬愛し美術大学で型染を学んだ林家たい平さんと静岡市立芹沢銈介美術館に足を運びました。(ひととき2023年4月号より

「やあ、今日は富士山がめちゃめちゃきれいだね」と林家たい平さん。

 目指す芹沢銈介美術館は、登呂公園内にある。教科書にも載っていた高床式倉庫の先に、くっきり富士が姿を現していた。

 たい平さんが、芹沢銈介の存在を知ったのは武蔵野美術大学3年生の時。落語家になることを決めていたたい平さん、落語家必須の手ぬぐいが世間から忘れられつつある状態を危惧し、手ぬぐいのよさをポスターで表現したいと先生に相談した。

「そしたら、『芹沢銈介*という人がいるから見てみなさい』と言われて、図書館へ行って衝撃を受けました」

 手ぬぐいをテーマにした卒業制作は、布に型染。藍で染めて、見事「研究室賞」を受賞した。「これが型染の初体験。とても面白かった」。以来、型染が大好きなたい平さんだ。芹沢銈介美術館ヘは何度も訪れている。

芹沢銈介[1895-1984]は「型絵染」で人間国宝に認定された染色工芸家。用の美を追求し最晩年まで型染を手がけた。染色のほかにも幅広い仕事を残し、20世紀を代表する工芸家のひとりとして国内外から高い評価を得ている

静岡市立芹沢銈介美術館の近くに移築されている「芹沢銈介の家」。東京・蒲田にあった2階建ての芹沢邸で暮らしていた当時を再現。1階の板の間は通常入室不可(*)*特別に許可を得て撮影しています

 型染は、模様を彫った型紙を布に置き防染糊をヘラで付着させ、糊のない部分に色挿しをする技法。いわば間接的な模様染だ。型ゆえ反復が可能で、同じ模様がいくつも染められる。

型染と落語の共通項

 展示中の《いろは文二曲屏風》の前で足を止めると、「この文字を見ると、デザイナーだということがしみじみ分かる。みんなが知っている文字をこういう風にアレンジできる。芹沢銈介はデザイナーだと、僕はずっと思っているんです」

[上]《いろは文二曲屏風》に見入るたい平さん [下]《津村小庵文〈つむらしょうあんもん〉着物》(右)ほか。年に数回展覧会を開催し、企画ごとに展示を全館にわたり入れ替えている

 この染め抜き文字は、ほかの〝いろは〟文字より、がっちりした意匠だ。

「量感があるよね。でも田舎くささがなくて軽やかでしょう」とたい平さん。

 日本の文字のもつ味わい深さが伝わる芹沢の文字絵だが、この四十七文字は酒脱で気っ風のよさまで感じられる。

「お弟子さんの話では、下絵を描くけど型を小刀で彫るときは勢いに任せて、大方は下絵の線通りには彫らないというんです。生きた線、生命力が生まれる。芹沢銈介は、そこに型染のもつデザインの美を見出したんじゃないかな。模様によっては切り取ると型が成立しない場合もあるんだけど、それもデザインの面白さに変えたんです」

 型染は古くからの技法だが、制約こそ新たな創造へ大きく跳躍するばねになったのだ。その上、直線的だがエッジが立つ鋭さはなく、布の温かさと染めの優しさが滲む。

「作者も意図しない美しさが、そこに生まれてくるということだよね」

 ところで型と制約は、落語にも通じますか?

「そう、おんなじですよ。落語にも型があるし、例えば座布団に座って喋るという制約がある。そこからどうオリジナリティーを出していくか。まさに型染と似ています」

 紅雲石こううんせきが貼られた奥の展示室では、店舗用のれんの展示中だった。たい平さんの足が2枚の竹葉亭ちくようてい*ののれんから動かない。1枚は、漢字で書いて竹をあしらったのれん。もう1枚は踊るように軽やかに「ちくよう」。

*うなぎ料理の老舗

のれん《ちくよう》の前で。たい平さんの芹沢に対する真摯な思いを受けて、学芸員の山田優里さんの解説にも熱が入る

「平仮名の方が可愛らしいよね」

「先生は頼まれると次から次へとアイデアが湧いて、店舗用マッチや品書きなどでも試作の型彫りを、いくつも手がけられました」と学芸員の山田優里さん。

「求められる喜びもあったんでしょうね。求められ使われることが用の美の原点だったと思う。『平仮名でお願いします』なんて注文されなくても、喜びを感じながら考えたんじゃないかな? ほら、頭がくぐるところだけわざと空けている。つい気軽にのれんを潜りたい気分になっちゃうよね」

 いかにも。〝のれんを潜ればおいしい物が待っているよ〟とのれんがささやいている。明らかに染めの藍が少し褪せているところもある。

「何万人もの人が潜って、少しずつ積み重なって生まれた風合い。芹沢さん、ひょっとして使い込んだ風情まで考えていたのかな。これ、僕、初めて見ました。いいですね」

 感じ入るたい平さんだ。「よく見て。どこにも、芹沢のセの字も書いてない。それも凄い。僕が芹沢さんから教えてもらったところです。『俺の落語』って主張するんじゃなくて、日常の一日、笑いたいと思う時に身近にある落語。それが大切なんだと学びました」

芹沢と地元職人の交わり

 静岡で生まれ育った芹沢は、39歳(1934年)まで、この地で制作や図案指導を続けた。土地柄ゆえ、染色、木工、竹、漆などの職人が多く、地元の紺屋こうやから染色の手ほどきを受けたこともあった。型紙の糸掛けなど紺屋の工人たちの助力について書いた一文もあり、職人たちと親しく交わっていたことが想像できる。

「芹沢銈介の家」の板の間には作業机も。作品の構想を練ったり、型を彫っていた

 ここ静岡市には、「駿するぞめ」と呼ぶ伝統工芸がある。天性のデザイン感覚と審美眼をもち、型絵染の人間国宝として大きな足跡を残した芹沢銈介。偉大な先達をもつこの地の染師たちは、どんな仕事をしているのだろう。染色にお目が高いたい平さんと、彼らのいまを訪ねてみよう。

旅人=林家たい平 文=片柳草生 写真=阿部吉泰

──この続きは本誌でお読みになれます。江戸時代から地元で受け継がれてきた技法を駆使しつつさまざまな技法が用いられる駿河和染。ミラノのデザイナーともコラボしたろうけつ染や茶葉を用いた「お茶染め」、芹沢銈介と所縁の深い老舗の型染など、静岡市内にある工房を巡り、「駿河和染のいま」を見つめます。ぜひお楽しみください。

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目次
●INTRODUCTION=静岡市立芹沢銈介美術館
●紀行=駿河和染のいま 丸子宿
●紀行=駿河和染のいま 府中宿

林家たい平(はやしや・たいへい)
落語家。1964年、埼玉県秩父市生まれ。1988年に林家こん平に入門。2000年真打昇進、落語協会常任理事。落語家として精力的に全国を巡業する一方、テレビやラジオなど各種メディアで活躍中。2010年から母校の武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科で客員教授も務める。仕事の合間を縫って手ぬぐいやのれんなどのデザインも手がけている

出典:ひととき2023年4月号



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