末法の世に“極楽浄土”を再現した平等院鳳凰堂|オトナのための学び旅(3)
今回取り上げる『平等院鳳凰堂』もまた、「ほんのひととき」の読者の方にとってはなじみの場所かもしれません。
京都駅からJR奈良線に乗って宇治駅まで、みやこ路快速で17分。各駅停車に乗っても22分前後で着くため、時間によってはわざわざ快速を待つ必要もありません。
南口・左側の階段を降り、きれいに整備された駅前の道をまっすぐ歩けば、数分で宇治川が見えてきます。
中学校の修学旅行の班行動の日、なぜか移動の手間がかかる宇治に行きたいと言い出した私に班のみんなが付き合ってくれて、平等院に行く途中、川に石を投げて遊んだのをついこの前のことのように思い出します。
川の手前で右に曲がり、鳥居はくぐらず、店先の信楽焼のタヌキに挨拶しながらまっすぐ歩くと、すぐに平等院の入り口が見えてきます。
京都・平安京の南郊に位置する宇治の地は、多くの貴族の別荘が集まる地でした。源氏物語の「橋姫」より後ろ、『宇治十帖』を読めば当時の空気感を伺い知ることができます。998年、その別荘のひとつが、幾人かの天皇や貴族を経て、大貴族・藤原道長の手に渡りました。
藤原摂関政治の全盛期を築いた道長は、1016年に摂政に就任し、その2年後、あの有名な「この世をば」で始まる和歌を詠います。今からちょうど1000年くらい前のできごとです。その道長の別荘「宇治殿」を寺院にあらためたのが、道長の息子・頼通です。
末法の世到来の年に開かれた平等院
頼通の意志を受けて平等院を開いた僧・明尊は、当時の天台宗寺門派の僧でした。藤原佐理、藤原行成とともに「三跡」と称される小野道風の孫としても知られる人物です。
ご存じの方も多いと思われますが、念のため解説いたしますと、当時「末法思想」という思想が貴族や民草の間に広まっていました。
お釈迦様が亡くなったことを入滅と呼びますが、この入滅から2000年経つと、お釈迦様の教えが忘れ去られた最悪な時代が到来する、という世紀末的な思想です。日本では、釈迦入滅を紀元前949年とし、1052年が末法の世が到来する年と考えられていました。
これだけならただの「設定」で済む話なのですが、タイミングの悪いことに時代が荒れていきます。
地方の政治を任された国司が蓄財に励む中、各地で武士と呼ばれる新興階級が台頭。仏教界においても「強訴」、すなわち暴力で意志を通そうとする向きも出てきて、治安はなかなかに乱れていきました。
この夢も希望もない世の中において、「死んだらいっそのこと天国に行きたい!」という願望を持つ人が増えていきます。当時の人々にとって、この天国こそが「西方極楽浄土」であり、死後、そこに連れて行ってくれる存在が「阿弥陀如来」だったわけです。
やや雑な説明になっている自覚はありますが、この、阿弥陀様にすがって極楽浄土に往生しようという教えを広く「浄土教」と呼んでいます。
目の前に極楽浄土を再現
頼通・明尊が平等院を開いたのは1052年、ちょうど末法の世到来の年でした。
平安当時の姿を残す建造物は鳳凰堂のみとなってしまいましたが、もとは多くの堂宇が並ぶ大寺院でした。本堂に祀られていたのは大日如来で、阿弥陀如来のみを祀る寺院ではなかったようです。
現在の平等院も既存のいずれの宗派にも属さない単立寺院です。
とはいえ、開山の年や、開山の翌年に阿弥陀如来を祀る鳳凰堂が建立されていることから、この寺院が浄土教の影響を強く受けていることは間違いありません。
当時、死後、阿弥陀様に迎えに来てもらうための「メインルート」とされていたのは「観想」でした。これは「阿弥陀様の姿や極楽浄土の様子を心に鮮明に思い浮かべる」というもので、ときに多くの儀式などを伴う厳しい修行の先にたどり着く境地とされていました。
であれば、いっそのこと目の前に阿弥陀如来と浄土を顕現させてしまえばよいのでは?と頼通が考えたかどうかは分かりませんが、いずれにせよ当時の最高権力者であった頼通は、高さ3m近い阿弥陀如来坐像と、それを取り巻く52体の「雲中供養菩薩像」を揃え、阿弥陀様が迎えに来る、というよりは、すでにそこにいる!に近い状態で自らも往生を遂げました。
見学はじっくり、時間をかけて
もし、これから平等院に行く方がいらっしゃいましたら、まずは鳳凰堂の真ん中に鎮座する阿弥陀如来坐像を観られるようにしておきましょう。こちらは時間ごとに定員があるため、混み合うシーズンはできるだけ午前中に行っておいたほうが良さそうです。ふらっと行くだけだと観られないことがあるので注意が必要です。
加えて、時間に余裕があれば、2001年に開館したミュージアム鳳翔館にもぜひ行っておきましょう。
建築家・栗生明氏デザインの建物自体も見応えのある施設ですが、特に国宝に指定されている鳳凰像は一見の価値ありです。まもなくデザインが変わりますが、現行の一万円札に描かれているものですね。
現在の鳳凰堂の上に立っているのは2代目で、鳳翔館でガラス越しに見ることができるのが初代です。1m近いサイズで、鋭い眼光と嘴で今にも人間の言葉を話しだしそうな一対の鳳凰像は見応えがあります。
鳳翔館では、他にも、阿弥陀如来坐像を囲む52体の雲中供養菩薩像のうちの約半数を間近で見ることもできます。
私自身、一人で旅行する際は予定を詰め詰めにしてしまう悪い癖があるのですが、平等院に行くときは、60~90分ほど、時間に余裕をもって訪れることをお勧めします。
阿弥陀信仰は、やがて法然や親鸞といった僧たちの手によって武士や農民の間に広まりますが、そうなる前の、生活に余裕のある貴族たちに半ば独占されていた時代の阿弥陀信仰の名残を、ぜひ宇治の地で体感してみましょう。
文=馬屋原吉博
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