土井善晴先生のイチオシ!江戸っ子好みのどじょう鍋(東京都台東区・墨田区)
江戸っ子気分で
初夏、水温む田植えの季節、田んぼに水を入れると、泥の中で眠っていたどじょうが湧き出てくるんです。日本は稲作の国ですから、全国どこにでもどじょうがいたんです。地方では貴重な栄養源になっていたそうですが、楽しみに食べるものではなかったようです。なかには泥臭そうというイメージで、食わず嫌いな方も多い。ところが、「人に誘われ、うちの店に来ると、想像以上のおいしさに喜んでいただけることが多いんです」と話してくださったのは、1801(享和元)年、徳川11代将軍家斉公の時代に創業した「駒形どぜう」の7代目、渡辺隆史さん。
35年ほど前、私も知人にここに連れてこられて初めて食べたどじょう。その味を知って以来、思い出せば、つい食べたくなるのです。丸ごと食べるんですから、元気になるに違いないと信じています。その証拠に、夜は体がほてって布団を蹴ってしまうのです。湿り気さえあれば土中でも生き続ける生命力と、爆発的に個体数を増やす繁殖力が神聖視され、どじょうを食べる神事や祭事も多いとか*。
下魚と見るわけじゃないけれど、一緒にどじょうを食べるお相手は、気遣いのいらない心安いお方に決まってます。よき友達や家族とどじょうを食べに集う時間は、至福のひとときです。
「駒形どぜう」開店の11時少し前、店先の緋毛氈を敷いた長いすに座って、同じ思いのお客様と並んで待っていますと、旅の道中にいる気分になるのです。おもむろにガラガラと引き戸が開いて、着物にたすき掛けのお姉さんが、踏み台に乗って暖簾をかけて店開き。暖簾をくぐると、初めての方なら感動もんの「入れ込み座敷」は江戸の風情をそのまま残します。テーブルの代わりに座敷に長い「かな板」が敷かれ、おざぶに座ると、江戸っ子の仲間になった気分。初訪問のとき、要領を得ないでいると、隣のおじさんが食べ方を教えてくれました。「葱をたくさんのせて、くつくつと煮えてしんなりしてきたらお食べなさい。小皿に取ってから山椒を振るといいよ」と教えてくれましたが、そこはどうぞお好きに。
取材の日は2階の大広間に上がりました。創業100年目(明治34年)の時の店舗を、隅田川に並行する江戸通りの向こう側から撮った写真が飾ってありました。店の前には西部劇のバーの前にあるような横棒が渡してあるので何かと思ったら、リヤカーを引かせてやっちゃ場(青物市場)に行く客が、牛を一時つなぐためのものだそうです。この店の清めの盛り塩は今でも3つあり、ひとつは牛のためだそうです。当時、新人の最初の仕事は牛のふん集めだったとか。
今では「どぜうなべ」がメインですが、始まりは「どぜう汁」でした。小さめのどじょうを江戸味噌で煮込んだ濃厚な味噌汁は絶品で、ほかでは味わえない旨さ。私はこれが大好きで、どぜうなべの後は、ご飯とどぜう汁と糠漬けを必ずいただきます。この頃では珍しい自前の糠漬け。糠床は手入れする人の愛が必要ですから、よきお店の証しです。近年は田んぼも少なくなって養殖ものがあたりまえですが、骨を感じない良いものを吟味されています。
天然どじょうの野趣
さて、近頃は手に入りにくい天然のどじょうを売るお店が隅田川を越えた先の吾妻橋にあるそうです。
店の名は「どぜう ひら井」。関東仕立ての生形の麻暖簾をくぐると、きれいに整えられた小上がりと椅子席。カウンター席(お通し台)と調理場の境に設えた横長の暖簾越しに、年季の入ったご主人と女将さんのいいお顔を見て、うれしくなってご挨拶させていただくと……、「どじょうは夏に子をもって、冬に田んぼのどじょうを掘ってとるから、『どじょう掘り』は冬の季語、ところが『どじょう汁』となると夏の季語」と、さっそくどじょう談義が始まりました。
「冬は脂がのるから『寒どじょう』という言い方があります。よくないのは冬眠から覚めたとき。痩せて骨が硬い」「どじょうは食堂や酒場で食べられた。魚屋さんで売られていたし、仕舞屋*ではお惣菜に食べていた。東では子供も散々食べたし、鶏の餌にもなった」と、ほかでは聞けないお話ばかり。ねっ、最高に楽しいでしょう? そろそろお料理をと催促すると、どじょうを捌いてくれました。ひら井さんは、注文をいただいてから捌くそうです。
天然の大小さまざまなどじょうを選んで、まずは「くりから焼」。剣に巻きつく倶利伽羅龍のくりからです。動き回るどじょうに目打ちして、背にどじょう包丁を入れて開く。腹の空気が肛門から抜けるとき「キュウ」と鳴くように聞こえるんですね。中骨はそのままに、女将さんが竹串を何の気なしに打ってゆく。かんてき*に載せて丁寧に焼き、タレをくぐらせると、うねり串の技で、生きているように見事に美しく焼き上がるのです。見た通りの香ばしさ、素朴さの中に真の強いどじょうが味わえます。
小ぶりなどじょうを揃えた丸鍋は、その口当たりのなめらかさが口中に広がり、骨をまったく感じない。これが天然どじょうの醍醐味です。天然どじょうで、いつまで仕事ができるかわからない、でも私がやる限りはこれでいくとおっしゃっていました。
土も泥もないコンクリートの大都会、東京のどぜう屋はオアシスで、お客も店主も従業員さんも、遠い昔も、今も、ぜーんぶひとつにまとまり、和しているのです。技術の伝承も大事ですが、ほんまに大切なことは集う人が共有する温かい心。ここにはほんまのサステナブルがあると、楽しいお江戸の一日を振り返りました。
文=土井善晴 写真=岡本 寿
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