雨上がりの夜の吉祥寺が好きだ 街路樹に鳴く鳥が見えない|枡野浩一(歌人)
タイトルは短歌。『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』より。時々しかほめてくれない歌人の穂村弘さんが、珍しく「情報量が多い」と言ってくれたことのある一首である。僕の著書で最も売れたのは『ショートソング』という、短歌がたくさん出てくる青春小説で、執筆時に実在したカフェ・喫茶店を実名でいくつも登場させた。その多くが今はもうない。
吉祥寺には十年ほど住んでいた。そもそも僕の両親が、「小平」と「吉祥寺」で迷って小平に一軒家を建ててしまったという信じられない逸話があり、その悔しさもあって吉祥寺は憧れの街だった。穂村さんは漫画家の大島弓子さんの住む街ということで憧れ、現在は吉祥寺在住だという。僕は在住時に離婚を経験したり、好きな店が軒並みつぶれたりして心が離れ、今は隣町の西荻窪に住んでいる。
僕との共著も複数あるイラストレーターの目黒雅也さんが最近、『西荻さんぽ』という本を出したらヒットしたことからもわかるように、これから西荻の時代が来ると思う。西荻から吉祥寺へ引っ越した穂村さんは、時代の逆を行った歌人として記憶されるだろう。
とはいえ、西荻うまれであるにもかかわらず、僕は一向に西荻に詳しくならない。仕事場の枡野書店が南阿佐ヶ谷にある関係で、自転車で荻窪や阿佐ヶ谷に行くことが多いのだ。
吉祥寺に行かなくなってしまったのは、自転車を停められる場所がゼロに近い街であるため、隣町ながら果てしなく遠く感じるから。
ぎっくり腰になってしまい、今つくっている共著アンソロジー『おやすみ短歌』の版元(京都の一人出版社・実生社)の代表から、三鷹にある腕のいい鍼灸院を紹介してもらった。そこは吉祥寺からも歩ける距離であり、施術のあとは吉祥寺経由で帰ることが増えた。
すると、普段は思いださないように心がけている、離婚時の悲しい思い出が具体的にいきいきとよみがえってきてしまい、まいった。
記憶は土地につくのではないか、と昔から思っている。幼少期を過ごした茨城県水戸市のことをすっかり忘れてしまったのだけれど、仕事で水戸に行ったらあらゆることが一瞬で思いだせたのだった。町並みをみて記憶がよみがえった、というレベルではない。記憶が土地について、僕を待ち構えていた、のだ。
先日、郵便局が閉まる時刻までに書類その他を用意して郵送しなければならない事態に陥り、咄嗟の判断で吉祥寺へ向かった。短時間で書類に必要なものをすべて買い揃えるためには、「勝手知ったる街」でないと難しいと感じたためだ。無事に投函することができ、書類作成をした喫茶店では好物のババロアを食べることもできた。吉祥寺にしては混みすぎない、穴場の喫茶店なのだ。郵便局で封筒を速達にしたとき、「まあ十年くらい住んで、庭みたいな街だからなあ」と、ひとりごちた。書類提出によってM-1グランプリには無事エントリーでき、一回戦で敗退した。悔いはない。
▼近刊『おやすみ短歌』
▼「あの街、この街」のバックナンバーはこちら