現代アートの島で幸せな鑑賞体験(香川県直島町)|ホンタビ! 文=川内有緒
のんびりとお湯に浸かりながら、手足を思いっきり伸ばした。天井を見上げると、男湯と女湯の仕切りの上には巨大なゾウのオブジェが鎮座し、浴室の奥にはジャングルのような植栽がもしゃもしゃしている。東南アジアあたりに湧いた温泉に入っている気分だが、ここは《直島銭湯「I♥湯」》、世界的にも珍しい入浴できる美術作品である。作者は大竹伸朗で、建物外観や脱衣所、ボイラー室、浴槽、タオルや湯桶にいたるまで大竹スピリットが炸裂していて、もう最高なのだ。
直島――。周囲16キロ、人口約3000人のその島は「現代アートの島」として知られる。島内には、地中美術館、ベネッセハウス ミュージアム、李禹煥美術館など数多くのアートスポットが点在する。
さて、いったいどこから巡ろうか……と迷う私が広げたのは、『直島 瀬戸内アートの楽園』という一冊。作品ガイド的な要素もありながら、美術館スタッフや建築家、アーティストも多数寄稿していて、読み応えがある。
ふむふむ、なるほど……。一読した私は、まず美術館と宿泊施設が一体化した施設、ベネッセハウスに向かうことにした。開館は30年前で、設計は安藤忠雄である。どうやらそこが直島の……、いや、瀬戸内地域のアート活動の原点中の原点らしい。
ベネッセハウス ミュージアムに入ると、ロビーではジャコメッティの彫刻が、その奥では多くの現代アート作品が訪問客を待っている。自然光が入り、光と風が抜けていくその空間は、通常の美術館とは異なる気持ちよさに溢れているではないか。
テラスに出ると、杉本博司が世界の水平線を写した写真作品《タイム・エクスポーズド》が午後の日差しを浴びていた。
えっ、野ざらし? と思ったのだが、徐々に風化する写真を通じて、島に流れる「時間」を体感する作品らしい。作品の向こうにはリアルな水平線が広がり、風景と作品が見事に調和していた。
今でこそ「アートの島」として定着した直島だが、安藤忠雄がベネッセハウスの設計を始めた頃は、金属の精錬所から出る亜硫酸ガスで樹木は枯れ果て、「いったい、どうしようというのか」と思うほどだったという。しかし、1986(昭和61)年に現在のベネッセホールディングスを継いだ福武總一郎氏は確固たる信念を持っていた。
福武さんは、「直島に命をとりもどしたい。海と太陽とアートと建築、これをひとつにした文化の島にしたい」と私に言われた。(中略)「福武さんはこの島の緑の中にホテルや美術館をつくり、世界一の文化の島にしたい」と考えるようになっていった。(今月の本から安藤忠雄「文化の島と見えない建築」より)
そんな福武氏の思いは、「直島にしかない作品」を数多く生み出した。
その一例が《文化大混浴 直島のためのプロジェクト》(蔡國強作)だ。海沿いの場所に風水に基づいた奇石が配置され、中心にはジャグジーがある。《直島銭湯「I♥湯」》同様に入浴できる作品で、ジャグジーというアメリカのカルチャー、中国の伝統、瀬戸内海の風景がブレンドされながらも、あれこれ考えず、ただリラックスして楽しめる作品でもある。
こみあげてくる涙
翌朝は早起きし、島の東側にある本村集落をジョギングしてみた。柔らかく吹く海風が気持ちよく、どこまでも走っていけそうだ。古い街並みや神社が残るこの地域もまた必見のアートスポット密集地帯で、古民家がまるごと作品になった《家プロジェクト》が面白そうなのだが、私はまず直島の本丸、地中美術館に向かうことにした。
直島を「アートの島」として不動の地位に押し上げたのが、この地中美術館である。建物全体がほぼ地中に埋まっているという唯一無二の設計はベネッセハウス同様に安藤忠雄によるものだ。
見所のひとつは、2メートル×6メートルのクロード・モネの《睡蓮の池》。モネの睡蓮はすでにパリのオランジュリー美術館などで何度も見てきたのだが、直島で見るモネはどんな感じだろうかとワクワクしていた。
入り口から建物に入ると、コンクリートの壁が細長く空を切り取り、思わず雲を見上げてしまう。光と影が自由に揺れ動く中、階段やスロープを上がったり下がったり。地下へ誘うこの長いアプローチが、実は鑑賞のプロローグなのかと気づくと、私は大きな胸の高鳴りを感じた。
薄暗い空間に入り、ちょっと光が恋しいな、と思う頃に展示室に入った。
そこにあったのは《睡蓮の池》だった。淡い自然光が包む展示室に、絵と私を隔てるものはなにもなかった。
わ。わ。わ。
え、ちょっと待って。ありえない――。理由はわからないが、ぽろぽろと涙がこぼれていた。私は一体どうしちゃったんだろう? こんなことは、できすぎた小説の中でしか起こらないはずだった。しかし、現実は想像を超えていた。だって実際に私は絵の前でこみあげてくる涙を拭いていたのだから。
《睡蓮の池》は、モネの最晩年の作品で、白内障で視力を失いつつある時期に描かれたものだ。左半分が紫色に滲んでいる。私は何分もその滲みを眺め、これは、水面に映る夕日なのだろうかと、モネが見た光を想像した。周囲には誰もおらず、私と睡蓮だけがこの世界に存在しているみたい……。
それはもう圧倒的な鑑賞体験だった。
ああ、モネだけで、ずいぶんと熱く語ってしまったのだが、地中美術館の見所はまだまだ続く。ウォルター・デ・マリアとジェームズ・タレルという2人の現代美術家の作品である。ミリ単位で計算された空間には、光と闇が織りなす奥深い作品世界が広がり、一見すれば何もかもが異なる睡蓮の絵と不思議なほどに響きあっている。
このとき私の脳裏には、前日にベネッセハウス ミュージアムを案内してくれた広報担当のステンランド由加里さんの言葉が浮かんだ。
「たとえばジェームズ・タレルが生み出す闇の中にいるとき、もしかして自分が見ているものは、モネが光を失いつつある中で見つけた美なのかもしれないと想像したり、美術館を出たあとに見る夕日がいつもと違って見えたり。直島ではそんな体験をしてもらえたら嬉しい」
この言葉を胸に、私はさらに《家プロジェクト》の作品群を見てまわった。そして、長い鑑賞ツアーのシメとして立ち寄ったのが、《直島銭湯「I♥湯」》というわけである。
お湯に浸りながら、拍手喝采を送った。
ブラボー、直島。
いま私はとても幸せです。
文=川内有緒 写真=佐藤佳穂
川内有緒(かわうち ありお)
ノンフィクション作家。米国企業、パリの国連機関などに勤務後、フリーの作家に。『バウルを探して』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル)など著書多数。
出典:ひととき2022年4月号
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