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【奈良】甦る仏像~新納忠之介の技と心を継ぐ者たち

私たちが古仏を拝観できるのは、文化財を伝える専門家の仕事があってこそ。仏像修理の礎を築いた新納にいろちゅうすけという人物は、師である岡倉天心のすすめで修理の道へ入り、東大寺・くう羂索けんさく観音像かんのんぞう、唐招提寺・千手観音像など、修理工房「美術院」を率いて2600体以上の仏像修理を手がけました。奈良の寺院や修理施設を訪ねながら、新納が後世に残した思いに出会い、古仏がいまここにある理由を知ります(ひととき2023年2月号特集より)

 よく晴れた青い空に、ラクダのこぶのように、あるいは猫の耳のように、ふたつの頂がくっきり浮かんでいる。奈良と大阪にまたがるじょうさんだ。ふたつがいかにも仲睦まじそうでほのぼのした気分となりつつ、この山を背にして建つたいでらへ向かった。

万葉集にも詠まれた二上山の一番高い雄岳には、謀反の罪で命を落とした大津皇子が眠る。奈良盆地のどこからでも眺められる山として愛されており、當麻寺はその東麓にある
[當麻寺]金堂の諸仏は白鳳時代の制作。塑像に金箔を貼った弥勒菩薩像(下写真)は、鎌倉時代に右腕が修理された
四天王像は異国風の顔立ちが印象的だ(多聞天のみ鎌倉時代に補作)。金箔の剥落止めや補色など、寺宝修理には新納や美術院が携わってきた

 来る前に聞いてはいたが実際に仁王門を目にし、思わず声をあげてしまう。ふたつ並んで守っているはずの仁王様、金剛力士像のひとつが欠けている。まるで二上山のひとつの頂が姿を消したかのような喪失感。残るもうひとつの仁王様も恐い形相ながら、どこかさみしそうに映る。

當麻寺駅から茶屋や釜飯屋が並ぶ参道を進むと、當麻寺の仁王門に行き着く。左には吽形の仁王像があるが、右の阿形の仁王像は、ニホンミツバチによる被害で修理中のため不在。境内は小学校の通学路にもなっているため、「早く戻ってこないかなあ」と待ち侘びながら通学する子供もいるそうだ
當麻寺・副住職の川中教正さん。「1300年以上、仏様をお守りしてきた人々がいます。その思いは後世につなぎたいです」

 そう、聞いてきたこととは、ふたつのうちのひとつぎょう像が現在修理中であるという情報である。さっそく、天理市の「なら歴史芸術文化村」へ足を運んだ。

[なら歴史芸術文化村]文化財修復・展示棟。仏像等彫刻、絵画・書跡等、歴史的建造物、考古遺物の4分野の修理作業がガラス越しに見られる

 2022(令和4)年3月にオープンしたこの施設は、4つの棟で構成されている。めざすは、そのなかの文化財修復・展示棟である。ここでは仏像や絵画・書跡、建造物や考古遺物などの修理を行う工房を一般公開。新納忠之介を初代の院長として出発した現在の美術院も全面的に協力している。忽然と姿を消した當麻寺仁王門の阿形像は、修理を受けるため2022年5月からここへ移ってきているのだ。

なら歴史芸術文化村の美術院工房で修理するため、當麻寺から運び出される仁王像(阿形) 写真提供=なら歴史芸術文化村
傷つけないように布で巻いて、数人掛かりで慎重にトラックに載せる 写真提供=なら歴史芸術文化村

「金剛力士像はヒノキ材による寄木造りで、頭部を含めお身体全体が空洞です」

 学芸員の竹下まゆさんに教わる。

学芸員の竹下繭子さん
空洞の腕

 阿形像は、「あ」の形で口を開けている。うんぎょう像は閉じているからそうならなかったが、開いた口からニホンミツバチが出入りを始め、頭部にぎっしり巣を作った。すでに30年前から知られていたことだが、駆除することはしてこなかった。生息数が限られる希少な生物だ。生態系への配慮があった。それに、ここは寺院だ。ハチも守られるべきしゅじょうである。

 しかし、参詣者が仁王門を通るたび、ブンブン飛び回るのは困ったものである。おまけに大量のハチが出入りすることで、像全体にダメージがある。吽形像と比べると表面の彩色がかなりすり減ってきているのは、ひょっとすると巣作りの素材に使っているのかもしれない。やはり、ハチに引っ越しを願うことになった。養蜂家のような完全防護服をまとった美術院スタッフが現地で頭部を丁重に取り外してみると、内部にハチミツがたっぷり。女王蜂を仮の巣箱に移し、巣全体を確保して原生林へ。

「30年暮らし続けたので、仁王様のお身体の中に古い巣などが山積していました」

 阿形像をなら歴史芸術文化村の工房へ移し、まず徹底した掃除から進めていくことが決まる。クリーンアップを終えたら、入念な本格的修理が施されてゆくのだ。

當麻寺の阿形像を修理する隂山さん 写真提供=なら歴史芸術文化村
阿形像のお顔はパーツに分解され、ハチやハチミツはきれいに掃除されていた 写真提供=なら歴史芸術文化村

次の時代の修理を想定し

 當麻寺の金剛力士像とは別に、もうひとつの修理も進行していた。大和郡山市の光堂寺に安置されている奈良県指定文化財の木造四天王像、そのうちの一軀、持国天像だ。

 ちょうど、大ベテランの修理技術者である公益財団法人美術院常務理事の隂山かげやまおさむさんが静かに作業しているところをガラス越しに見学できた。

しょく仕上げの工程です」

 と、学芸員の竹下さん。一木いちぼくづくりゆえ、時を経て、乾燥による干割ひわれが各部に生じてくる。その部分の隙間を薄い新しいヒノキで埋めてゆく。かすかなゆとりを残さないと、時間とともにまた新たな干割れが生じる。きわめてデリケートな手仕事だ。そして、古色仕上げ。修理した部分に塗る、周囲と同じ色つまり古色。隂山さんの持つ細い筆がひそやかに加えられてゆく。見ているこちら側もいつの間にか息をつめてしまう。心地よい緊張である。

「修理技術者の方々はつねに次の時代の修理を想定し、やりやすいように細かく気を配り、綿密な記録も残しておられます」

と竹下さん。

 この文化財修復・展示棟の一般公開という試みはかなり斬新なものだろう。深い信仰の対象であり、必ずしも特定の信仰をもたない人も心の安らぎを得られるのが仏像だ。修理状況を見せるのは抵抗があるという意見も生まれるにちがいない。そのことを熟慮したうえで、なら歴史芸術文化村は修理の透明化ということを選んだのだろう。文化財の意義をあらためてリアルに考えてゆくために。

 作業を一区切り終えた隂山さんに少しだけ話を聞かせていただいた。

「いつもひとりでおやりになるのですか」

「いえ、基本的に作業は複数のメンバーで行います。複数の技術者、そして国や地方自治体の文化財担当者、研究者が加わります。文化財ですから、独断はいけません」

 隂山さんの印象をひとことで表すとしたら、「おごらぬひと」だ。この道40年とつづけてきたみずからの仕事への誇りはもちろん確かなものだが、むやみに誇示することはしない。どうだ、すごいだろう、というアピールは決してしないと見た。ひょっとするとそれは新納忠之介の遺伝子ではないだろうか、などとも思えた。

 あの繊細な古色仕上げのいちばん大事なポイントを尋ねた。

「修理したところだけを塗ります。それ以外は塗ってはなりません。周囲に溶けこんで、目立たぬよう、目立たぬように」

修理中の仏像に補色をする美術院の常務理事・隂山修さん。ヘッドランプで細部を照らしながら慎重に色をのせていく。隂山さんは仏像修理の功績や後進育成が評価され、2022年、文化庁長官表彰を受けた

 これぞ、新納忠之介が確立した「現状維持を基本とする修理」だ。むやみに、がらりと変化させるのではなく、はるかな時の旅をつづける文化財を、あくまでも現状のままこれからの世に受け渡してゆく、そういう仕事なのだ。

 創作家をこころざした若き日もあった。が、このうえなく素晴らしい芸術作品と向き合い、触れることのよろこびを知ってしまった。そういう40年だったと言う。

文=植松二郎 写真=佐々木実佳

――この続きは本誌でお読みになれます。2600体以上もの仏像を修理してきた新納忠之介の生涯を知ると共に、明治初期の廃仏毀釈の影響で不遇な時代をくぐりぬけ、新納らの手によって甦った仏像たちの姿をぜひご覧下さい。また、新納率いる修理工房「美術院」が関わった、奈良の仏像のグラビアもお見逃しなく。ゆったりと坐す唐招提寺金堂のご本尊の姿や、どこか憂いのある阿修羅像の表情などをご覧になり、かつて命を差し出す覚悟で仏像と向き合い、守り抜いてきた人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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【目次】
第1章 修理を究めた生涯
グラビア 甦った仏像 
 解説=山口隆介(奈良国立博物館)
第2章 後の世に受け渡す

出典:ひととき2023年2月号

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