映画「海角七号」で世に広まったパイワン族の“トンボ玉づくり”を体験|『旅する台湾・屏東』より
屏東市の北東にある三地門は、南台湾の原住民文化がぎゅっと詰めこまれたエリアだ。
工芸品店、服飾店、大小の飲食店が街道沿いに軒を連ね、路地のなかにも陶芸品店「峨格手芸工作室」や、定食形式でパイワン族の料理が楽しめるアットホームなレストラン「答給発力美食坊」など、センスのキラリと光るスポットが点在している。小型の博物館「原住民文化館」も一見の価値がある。三地門のほか屏東市、霧台、来義郷、獅子郷の4カ所に同様の施設があり、特色ある企画展を行っている。
うねうねと蛇行する街道にひょっこり現れるのが、ガラス工房「蜻蜓雅築珠芸工作室」だ。羽根を広げたトンボのオブジェが目印。日本ではトンボ玉と呼ばれるが、彼らもトンボの眼になぞらえた呼び方をしている。
ルーツに関しては諸説ある。たとえば人類学者の陳奇禄氏は、パイワンの古いトンボ玉の成分を分析し、東南アジア方面に由来するとした。また、台湾の他の海洋諸民族には見られないことから、交易によってもたらされたのでなく、パイワン族の祖先が東南アジアから台湾へ移動するに伴い持ちこまれたと述べている。
現在製品化されているトンボ玉は、この土地出身のウマス・ジンルール氏により1970年代に開発された。ウマス氏は懐の広い人物で、身体に障害をもつ人やシングルマザーを雇用して技術を伝え、そのうえ商品や技術に関する産業財産権を申請することもしなかった。三地門が工芸の町として発展を遂げたのは、彼の存在によるところが大きい。
蜻蜓雅築もウマス氏の教え子が開いた工房を前身とし、すでに40年の歴史をもつ。手前がトンボ玉を活用したさまざまなオリジナルアクセサリーの販売コーナー、奥が工房になっており、原住民女性の職人の手仕事を間近で見られるし、300元からの費用で好きな柄のトンボ玉をその場で作らせてもらうこともできる。
ぼくもやってみることにした。12の図柄から1つを選ぶ。目玉みたいな模様のものは、祖先の霊に守ってもらう「守護」の玉。孔雀の羽根を模したものは「真摯な愛」。大地を模したものは「富」。それぞれ象徴的な意味が付与されている。
ちなみにこのトンボ玉を一躍世に広めたのは、恒春を舞台にした2008年公開の映画「海角七号」だ。コンサートを控えたバンドメンバー一同を励ますため、ヒロインの日本人女性の友子は空港の売店でトンボ玉のネックレスを買う。主人公には「勇士」の玉を渡し、彼女自身は孔雀の玉を身につけた。映画では明示されていないが、蜻蜓雅築の商品だった。
ぼくは「知恵」の玉を選び、前掛けをし、職人さんが仕事をしていた椅子に座らせてもらう。彼女は仕事机に並ぶ千歳飴みたいなガラス棒を熱し、先端を切って金属の棒につけ、丸めてから、表面に模様をつけていく工程をレクチャーしてくれた。線香のように細いガラス棒と本体を、据え付けのバーナーで同時に炙りつつ、線や点を入れていくのだが、適度な距離を保つのが難しい。職人さんがうまくフォローしてくれるので、失敗の恐れはなさそうだ。作業のあと40分ほど冷ましてから受け取ることができる。
2階は大量の原木をダイナミックに配置したタイ風カフェになっていて、ドリンクやスイーツはもちろん、カレーやトムヤムクンなどの料理も好評だ。
オーナーの施秀菊さん(パイワン族)に、ここでコーヒーをごちそうになった。
「最初の頃は、日本人が作ったガラス細工のビデオとか本を見て、技術を磨いたりもしていました。でも7年目くらいまで、村人のほかには買ってくれる人も少なくてね。週末にはよく制作道具一式を持って台湾中の大きな町に出向いて、街頭でパフォーマンスをしたものですよ」
長年の地道な努力で成長を続け、ひところは実に50名ものスタッフを雇用していたという。全員が地元の婦人たちだというから、地域社会への貢献も相当なものだ。
時間になり、先ほど作った玉を受け取る。キーホルダーにくっつけられたそれを見て、目を丸くした。どす黒い石の塊が、まるで宝石のように明るく光沢を帯び、かつ深みのある色合いのトンボ玉に変貌していたから。
ランチ1食分のお金と時間で手に入る、世界に1つだけのお守りだ。
文・写真=大洞敦史
◇◆◇ 本書のご紹介 ◇◆◇
『旅する台湾・屏東』
一青妙 , 山脇りこ , 大洞敦史 著
2023年11月20日発売
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