『檸檬』がつなぐ大正と令和 (京都府京都市)|ホンタビ! 文=川内有緒
初めて『檸檬』を読んだのは、13歳くらいの時だ。一風変わった私の父が一番好きな小説だと言い、その存在を知った。
ある日、父の本棚の片隅で埃をかぶっていた『檸檬』を見つけた。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。
何が面白いのかがさっぱりわからなかった。やさぐれた男が街をさまよい、果物屋でレモンを買い、大きな書店に入り、最後に洋書を積み重ね、レモンを置いたまま立ち去る。
中学生の私にとってはそれ以上を読み取る力がなかった。私はむしろアガサ・クリスティに夢中だった。
大人になってから、再び『檸檬』を開いた。ようやく、ああ、こういう行き場のない焦燥感やモヤモヤってわかるなあと少しだけ思った。ところで父は『檸檬』のどの辺りが好きだったのだろう。残念ながらそれを聞くことはもうできない。
酒に飲まれ、乱暴を繰り返すという荒んだ生活を送り、病に侵された梶井は、いくばくかの短編小説を残し、31歳という若さでこの世を去った。小説の評価が高まり、『檸檬』が梶井の代表作となったのは、亡くなった後のことである。
私が思うに、父は自分と梶井を重ね合わせていたのだろう。16歳で家出した父は、大阪文学学校*に通いながら都会の片隅で暮らした。貧乏な生活の中でいくつかの小説を書いたが、結局は文学とは無関係の仕事についた。
◆◆◆
『檸檬』のなかで梶井が歩いた寺町通を歩いてみる。梶井が生きた大正時代には大いに賑わっていたようだが、いまは雑貨店や古書店が静かに佇む落ち着いたエリアだ。
残念ながら、梶井がレモンを買った「果物屋」はもうなかった。でも大丈夫。すでに別の店でレモンを買ってあるから。
私が目指すのは、小説のラストシーン、丸善京都本店である。厳密には、梶井が通った丸善は三条通麩屋町にあり、その後、別の場所に移転し、2
005(平成17)年に閉店。10年のブランクを経て、2015年に河原町に開店したのが現在の丸善京都本店である。というわけで場所は微妙に異なるのだが、細かいことは気にしない。
そこは商業施設のツーフロアにまたがる巨大書店だった。こんな大きな書店なら自分の本も置いてあるかもしれないなと思ったが、見つからないと落ち込むので、『檸檬』を追いかけるように洋書コーナーに向かった。すぐに大好きな『若草物語』の原書を見つけてテンションがめちゃアガるが、その前にやりたいことがあった。
やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
カバンから紡錘形の物体を取り出した。どこがいいかな。鮮やかなブルーのアガサ・クリスティの本を見つけ、黄色の物体を添えると、「カーンと冴えかかった」。
◆◆◆
先にも書いたが、丸善が京都に戻ってきたのは2015年のことだ。
「オープンすると同時に、お客さんが思い思いの場所にレモンを置いていくということが頻繁に起こりました」と語るのは洋書担当の中津山淳さん。
この現象には書店員さんたちも驚かされた。約100年前、大正時代に書かれた小説を思い続けていた人が大勢いたのである。一方の丸善にとっても『檸檬』は特別な存在だったという。
そんな読者と書店という両者の思いは、ほどなくして『檸檬』の特設コーナーとして結実した。そこには、あなたのレモンをさあ置いてくださいとバスケットが設置されている。私が行ったこの日も、数個のレモンがバスケットにあった。
「年間、40〜50個のレモンがここに置かれます。作品に対する熱い思いを持っている方と、あの時代に思いを馳せている方と両方なのではないでしょうか」
小説と現実、そして大正と令和をひとつのレモンがつないでいるなんて面白い。
どう生きるか
大阪生まれの梶井基次郎は、第三高等学校(現在の京都大学)に入学し、一時期は左京区の吉田山近くの寮に暮らしていた。せっかくなのでそこまで足を延ばしてみたい。
汗をかきながら、標高約100メートルの吉田山の頂上まで登ると、抜群の眺望が広がり、五山送り火の大文字山がくっきりと見えた。梶井もここから送り火を眺めたのだろうか。
麓まで降りて少し歩く。そこは銀閣寺や哲学の道で有名な浄土寺エリアである。ここには前から行ってみたい本屋さんがあった。ホホホ座である。
古い劇場のようなトラスをくぐって中に入ると、雑貨や本、手作りのZI
NE*などが仲良く並んでいる。本のバラエティーは豊かで、健康の本の横にガルシア・マルケスの小説集があったりして、とても良い感じだ。
店長は、独立系書店の先駆け、ガケ書房を開いた山下賢二さん。ガケ書房はすでに閉店し、店名も場所も変え、今はホホホ座となった。
「うちは生き方の本が売れますね。自己啓発系ではなく、社会のレールに乗らなくても生きていけるんだよ、という本がよく手にとられます」
どう生きるかは、やはり『檸檬』の時代も今も普遍的テーマなのだろう。
山下さんが書いた『ガケ書房の頃 完全版』を読むと、若いころの山下さんも人生に迷っていたことがわかる。高校卒業と同時に家出して横浜へ。さまざまな職を転々としたあと、京都に戻って書店を開いた。そんな山下さんが運営しているホホホ座は、悩み多き若きウェルテル的な文学青年やトガったクリエイターばかりが来るわけではなく、旅行者がお土産物を買い、小学生が漫画を読み、お母さんが「きょうの料理」を購読するといった間口の広い街の本屋さんである。
その後、私はまた丸善の洋書売り場に舞い戻った。あの鮮やかな青のアガサ・クリスティの本が忘れられなかった。手に取ってレジに向かう。まだ私にとっては『檸檬』よりもクリスティなのである。
文=川内有緒 写真=荒井孝治
出典:ひととき2022年10月号
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