[太田記念美術館]美人画 麗しきキモノ|学芸員さんに訊く、浮世絵展の魅力
──流行の発信地であるラフォーレ原宿のすぐ近くに浮世絵専門の美術館があるというのは、なかなかない立地ですよね。来館される方に、若い方や海外の旅行者らしき人が多いのも頷けます。
赤木 はい。この立地なので、これまで当館の企画展は、「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし」「江戸の悪」「大江戸ファッション事始め」「和装男子」など、浮世絵のいわゆる王道(役者絵、美人画、風景画)ではないテーマでも開催してきました。何かのきっかけで一度当館に足を運んで作品を観てもらえれば、若い方々にも浮世絵の良さを分かってもらえると思っています。
──今回は、“王道”の美人画の展覧会にされたのですね。
赤木 はい。久しぶりの開催です。とはいえ、企画名のサブタイトルに「麗しきキモノ」とつけたのは、現代とつながるものを(タイトルに)出したかったからです。今世の中にある「着物」という言葉があれば、服飾史やファッションに関心のある方々にもアプローチできるのではと思いました。
──どうすれば今の人たちに浮世絵に興味を持ってもらえるのか、ということを常日頃から考えていらっしゃることが伝わってきます。浮世絵の魅力は、どんなところなのでしょう。
赤木 江戸から明治、大正にかけても、とても活力ある時代でした。浮世絵は生活のあらゆるところを写し出すものでしたので、当時の人々がどのように日々の生活を楽しんでいたのかを見つめることができます。また、葛飾北斎や安藤広重らが、新たな表現方法を生み出していった時代なので、日本のクリエイターの歴史を知ることにつながります。
──確かに、縁日や花火など、今も行われている行事の様子は身近に感じられますし、柄物の着物と帯の組み合わせはとても色鮮やかで美しく、粋に思えました。展覧会の見どころを教えてください。
赤木 時代によって移りかわる美意識の変化をご覧になっていただければと思います。浮世絵は購買者の関心をどう獲得するか、ということも大事で絵師たちも流行に敏感でした。また浮世絵のシリーズで人気の出たものは、予定を超えて新作が出版されることもありました。
──それは、人気がある書籍が増刷されるという今の出版業界と同じですね(笑)いわゆる通常の絵画を描く絵師に比べると、北斎など、浮世絵師の作品は数多く残っているように思えます。
赤木 確かに、北斎は多作ですね。浮世絵は絵師と彫師、摺師によって分業して作られるので、作品を数多く手がけられたというのはあると思います。
──浮世絵で見る、時代ごとの美人像について教えてください。
赤木 浮世絵は、江戸初期はモノクロの「墨摺絵」でしたが、江戸中期、明和2(1765)年頃には「錦絵」と呼ばれるフルカラー印刷が誕生します。その創生期に活躍した鈴木春信は、細くて小柄、中世的な美人画を描き一世を風靡します。春信が亡くなった後にはちょっとどっしりとした女性が美人として描かれ、その後人気となった鳥居清長は8頭身で背の高いスラリとした女性を描きます。
赤木 19世紀には歌川派が一大勢力となります。その巨匠の1人、初代豊国は1810年前後に肉感的な女性を描きますが、その弟子の国貞(三代豊国)はより親しみやすい女性像を得意としました。他にも溪斎英泉は凄みのある女性、国芳ははつらつとした女性など、絵師によって違いはありますが、どちらにしても、浮世絵の大衆化に合わせるように女性の表現も庶民が共感できるものへと変化していきます。
──今でもそうですが、美人像にも流行というのがあるのですね。着物としては、どんな流行りがあったのでしょうか。
赤木 18世紀半ば以降は、着物としては地味になっていきます。裾模様や縞模様、小紋などが人気となるのです。ただし、色々な縞模様を使うなど、お洒落を諦めない心意気がありました。
──明治に入って文明開化の時代となり、世の中が大きく変わったかと思いますが、浮世絵に関してもそうだったのでしょうか。
赤木 はい。歌川国貞や豊原国周に学んだ楊洲周延は、武士の家系出身で、彰義隊とともに上野戦争*にも参戦しています。絵師としては明治中期以降、西洋の影響を受けた新しい女性像を描きました。けれども、明治後期頃から浮世絵の時代を切り取るという役割が、新聞や写真に取って代わられていきます。歌川国芳門下で、妖艶な女性を描いた月岡芳年は明治25(1892)年に亡くなりますが、彼は「最後の浮世絵師」などとも呼ばれます。
──浮世絵時代の終わり……という感じで切ないですね。それ以降の絵師たちはどのような絵を描いたのでしょうか。
赤木 女性たちの装いには少しずつ洋装が持ち込まれます。そうした姿ですとか、女子中等教育の本格化にあわせて女学校に通う女学生の姿を描く作品もでてきます。当時誰でもが通えるというわけではなかったので、人々の“理想と憧れ”、時代を象徴する題材として浮世絵にも描かれたのです。
明治時代後期の絵師としては、芳年の弟子の水野年方は日本画も学んでいて、気品ある美人画を描きます。その門下の女流絵師、池田蕉園は、やはり日本画で頭角を現し儚げな美人画で人気となると、京都の上村松園と並び称されます。文部省の「文展」でも受賞を重ねるなど、活躍の場を広げます。
――大正時代の絵画はどういった作風だったのでしょうか。また「新版画」とはどんなものでしょうか。
赤木 大正時代は、竹久夢二のようなアンニュイで乙女チックな画風も好まれた時代でした。一方で、失われていく江戸の風情を惜しむ気運もありました。そうしたなか版元の渡邊庄三郎が提唱したのが、浮世絵の伝統的な技術をもって、あらたな時代にあった木版画を作ろうとする「新版画」だったのです。最初期に渡邉が絵師として迎えたのがオーストリア出身のカペラリ、また装丁家でもあった橋口五葉でした。
──これが版画なのか?と思うほど、繊細なタッチですね。
赤木 ええ。繊細で色気のある作品です。これまで当館では、橋口五葉など、明治後半から大正、昭和の作品はあまり展示してこなかったのですが、今回はせっかくの機会ですので、出品しています。ぜひご覧いただければと思います。
──ところで、赤木さんの専門は江戸の絵画史とのことですが、どなたかお好きな絵師はいらっしゃいますか。
赤木 はい。8頭身の女性を描いた鳥居清長が個人的に好みですね。私の専門は江戸絵画ですが、もともとは江戸の仏画を学んできていて。浮世絵について専門的に学んだのはこの美術館に入ってからです。そのせいか、「浮世絵ってこんな絵もあるの?」という驚きがあり、いわゆる王道でない作品も、ピックアップしてしまうところがあります。
──例えばどんな作品でしょうか?
赤木 今、当館のX(旧Twitter)のキャラクターになっている「虎子石」は、当館で「浮世絵動物園」の展示を行う際に、私が「これを出します」と話したものでして。
──それが今やX(旧Twitter)のキャラクターなのですね!
赤木 大出世しました(笑)
──今回の展覧会開催と時を同じくして、赤木さんは書籍『美人画で味わう江戸の浮世絵おしゃれ図鑑』を執筆されました。浮世絵はもちろん、着物の模様などについても細やかに書かれていて、着物文化の奥深さに驚きました。
展示と一緒に楽しめそうですね。
赤木 はい。6割ほどが今回の展示と同じ内容になります。今回の展示では、保存状態がよい、優品がそろっていますので、時代と共に変わる美意識の変化をぜひお楽しみいただければと思います。
──ありがとうございました。
画像提供=太田記念美術館
文・写真=西田信子
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