弘前・シド亭の特製ロース網焼きステーキ|柳家喬太郎の旅メシ道中記
大好きな柳家の叔父さん
五代目柳家小さん*。あたしの大師匠です。大師匠には直弟子だけでもたくさんいるのですが、そのひとりに柳家小三太という、芸筋ではあたしの叔父にあたる兄さんがいます。
“柳家の秘密兵器”という異名を持つ兄さん。その理由は高座を見ていただく以外に説明ができないのですが、とにかく仲間から愛されていて、あたしも大好きな兄さんです。
兄さんは大師匠にも愛されてました。あたしが前座か二ツ目のころの思い出ですがね、ある年の元旦。大師匠は剣道家でもありましたから、目白のご自宅に道場があった。新年だから一門が集まって、広い道場が狭く感じるほどでした。お屠蘇で祝って新年の宴会。宴もたけなわを過ぎて、大師匠が自室に戻ろうというとき、小三太兄さんの頭をポンッとして道場をあとにした。それを見ていたほかの直弟子の方々がみんなして「いいなぁ! 小三太いいなぁ!」と羨ましがっていたんです。大師匠がいかに小三太兄さんを可愛がっていたかがわかりますよね。
大師匠が亡くなって、小三太兄さん、市馬兄さん、さん福兄さんにあたしの4人で寝ずの番を務めた夜もありました。みなさん直弟子であたしだけ孫弟子なんですが、同じ柳家ってだけで弟弟子のように接してくれて、それがすごくうれしかった。ほかのご一門のことはわからないけど、さん喬の弟子という喜びのほかに、柳家一門でいられることの喜びもあるんです。小三太兄さんがいてくれる柳家でよかったと、心から思います。
しかし、あんなに大師匠に愛されていた小三太兄さんは、寝ずの番をしながらとんでもないことを言い出すのですが、残念ながらここでは話せない(笑)。
その代わり、ある先輩から聞いた、40年以上前の話をしましょう。
つか、それが今回の本題!
弘前にいるお兄さん
1月2日の大師匠の誕生日。目白の道場で大宴会。弟子が余興で盛り上げる。そこで小三太兄さんが披露したのは「小三太の早変わり」というイリュージョン。その名の通り、兄さんが身を隠すと、別の姿の兄さんが間髪入れずに現れるという摩訶不思議なショー! 居合わせた昭和の喜劇王・藤山寛美さんが祝儀を切るほどの圧巻の芸! 一体どうして! そのカラクリは何と! 一卵性双生児のお兄さんと交互に現れていたというわけなんです!
「その時の祝儀は全て弟が使いましたけどね。同じ顔してるから、代わりに給料を取りに行ってもらったこともあります」と、大きな肉を焼きながら教えてくれたのはコック姿の小三太兄……じゃなくて双子の兄の舘田恵悦さん。お兄さんは、30年前から故郷の青森県弘前市で「シド亭」というステーキ屋を営んでいるのです。
弘前駅からタクシーで10分。弘前バイパス沿いにある店には、昼のピークを過ぎてもひっきりなしにお客さんがやってくる。奥様の佳代子さんが注文を受けたら、お兄さんがカウンターキッチンで即座に調理開始。鉄板で肉を焼いている間にサラダやスープ、ライスをテンポよく用意して、さらにあたしの相手までしてくれる。71歳とは思えない、見ていて気持ちいいくらいの機敏さです。話をしながらも、ステーキカバーの中の肉の様子はしっかり把握していて、良い頃合いでひっくり返す。前座修行のとき教えられた「捨て目捨て耳」──つまり目に見えること耳に入ることにいつでも注意を払うということですが、お兄さんはまさにこれを徹底している。“気を配る”とはこういうことだぞと、前座さんたちに見せてあげたいです。
「いい加減にやってるだけ」とお兄さんは言いますが、そうじゃないことは繁盛ぶりからわかります。ひとり客からご夫婦、小さいお子さんがいる三世代の家族まで、いろんな方がここでしあわせなひとときを過ごしている。
ハンバーグやシチュー、カレーとたくさん洋食メニューが並んでるけど、人気はやっぱりステーキ。こんがり焼かれた肉はバターの風味をまとって、そこにかけるのは醤油ベースのステーキソース。ご飯が無限に食べられそうです。脇には人参のグラッセ、ほうれん草のソテー、ベーコンと玉葱入りのマッシュポテト。オーソドックスで、ひとつひとつが誠実な味。お客さんの顔が綻ぶわけだ。
弟は落語家、兄は料理人。同じ顔をした双子は別々の道に進みましたが、それぞれが“いい味”で、誰かを笑顔にしているのでした!
教えてくれたあの師匠
シド亭に連れて来てくれたのは、今年の1月に亡くなった林家正楽師匠なんです。
もう何年前かなぁ、落語協会の寄席普及公演の一座で東北をまわったとき、弘前でメシにしようとなって、「いい店がある」と正楽師匠が案内してくださった。
「正楽師匠、仕事でこっちの方に来ると寄ってくれてね。冬の寒い日でも、店の前にある電話ボックスの横で煙草吸ってましたよ」とお兄さん。
久しぶりのシド亭は、正楽師匠に最初に連れて来てもらった時と変わらぬおいしさでした。たくさん一緒に旅をして、呑みながらたくさん芸の話しを聞かせてくれた正楽師匠。
遠くに行っちまった実感がまだわかないんだよなぁ、電話ボックスの横でうまそうに一服している姿が、ありありと目に浮かぶんです。(談)
談=柳家喬太郎 絵=大崎𠮷之
出典:ひととき2024年6月号
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