マッツァーラ・デル・ヴァッロ 踊るサテュロスにおぼれる旅|島村菜津(ノンフィクション作家)
シチリア南西部の小さな港、マッツァーラ・デル・ヴァッロには、考古学好きと美術好きならば、這ってでも辿りつきたい引力がある。
そこには、紀元前五世紀のヘレニズム期の傑作、「踊るサテュロス」が待っている。それは1998年の春、水深480メートルの地中海の底から、地元の漁師が奇跡的に引き上げたものだ。正確には、その前年、同じ漁船が片方の足だけを引き上げ、翌年、両腕を失った残りの部分を発見した。折しも同年、アメリカの研究者は、その海域には、何艘もの沈没船が存在し、うち五艘は古代ローマ時代のものであることを発表していた。だから、サテュロスが先にアメリカに発見され、そのまま、かの国に持ち去れる可能性も低くはなかった。それだけに、98年3月の地元漁師たちによる発見は、シチリア島民たちを沸かせた。
しかも、サテュロスは、ここに展示される前に日本へも旅した。長い修復作業を終えた後、ローマでのお披露目を済ませ、2005年春から秋まで、愛知万博のイタリア館を飾ったのだ。
当時、新聞にも記事を依頼されながら、へそ曲がりの私は愛知へ行かなかった。どうしても混雑する万博会場では会いたくなかったのだ。
2018年の春、そんな長年の片思いを経ての邂逅だった。
果たして、その美しさは、想像を軽々と越えていくほどのものだった。
まず、この小さな美術館は、2メートルを超える傑作をじっくり鑑賞するためだけに造られていた。海中から発見されたアンフォラや装飾品などがわずかに展示されてはいるものの、祭壇のような展示室には、「踊るサテュロス」だけがやや暗めの照明にぼっと浮かび上がり、360度、さまざまな角度から堪能できる造りになっていた。その背中から臀部、ふくらはぎにかけての筋肉の描写は、鳥肌が立つほどみごとで、髪の毛まで丁寧に描きこまれている。象嵌を施した目と半開きの口元は、まるで生きているかのようだった。
様々な推測がなされているが、おそらく、古代の地中海地方に流布したディオニソス教の儀式で乱舞する青年の姿を描写したものではないか、と囁かれている。ぐるぐると乱舞しながら恍惚状態に陥っていく青年の像が放つ生命力に圧倒された。
古代のギリシャ人は、人間の観察力と描写力において、人類の歴史の中でなぜ、これほどの頂点を極めることができたのだろう。
そんなことを思ながら、気がつけば、午後からあたりが暗くなる頃まで、ほぼ半日、「踊るサテュロス」と過ごした。夏休み前とはいえ、その間に訪れた旅行者は20人もいなかった。
美術館の入り口では、像を海の底から引き揚げた地元の漁師のコメントが映像とともに流されていた。そこに現れるのが、プロジェクトを指揮した海洋考古学者のセバスティア―ノ・トゥーサ教授だ。2019年、飛行機事故で世を去った彼は、シチリア州の文化遺跡評議会代表として美術館改革にも力を注いでいた。その父、ヴィンチェンツォ・トゥーサもまた、セジェスタやセリヌンテなどのギリシャ遺跡群の発掘と価値化に尽力した著名な考古学者だ。サテュロスのためだけに造られたこの小さな美術館は、海洋考古学の世界にもっと光を当てたいと願ったセバスティアーノの思いのたけでもあった。
後ろ髪を引かれながら館を出た私は、この街に一泊し、ゆっくり散歩でもしながら余韻に浸ることにした。マッツァーラは、今も約300人の漁師が暮らす魚介のおいしい街だ。そして、イタリア全土で最も大きなチュニジア人居留区を抱えている。人口約5万人の街に約3000人以上のチュニジア人が暮らし、この街の漁業やサービス業を支えている。その多くが肩を寄せ合って暮らすカスバ地区は、狭い路地が入り組んだ迷路のような造りで、アラブ支配期の名残が残る最も旧市街である。アラブ人が支配した中世の頃に、この港は最も栄えたのだという。そこに、アラブ人の末裔であるチュニジア人が今もたくさん暮らしていた。
翌朝、カスバ地区を散歩すると、開業して間もない小さな宿を見つけた。何でも主人は、ローマでテレビ・キャスターをしていた著名な女性だそうで、支配人を任されていたのも、チュニジア人だった。そして彼が、こんなことを言った。
「私は、これまで30年ほどイタリアの北から南まで9つの町を転々としながら生きてきましたが、この街が一番、居心地が良いです」
2015年から翌年、シチリアには、アフリカから多くの難民船が押し寄せ、定員の何倍も詰め込まれた船が難破する悲劇が幾度となく起きた。若者がやりたがらない仕事を移民たちが支えていながら、EUでは、彼らのせいで失業者が増えるという排斥論が沸き起こる。そんな中、かつて農民運動やマフィア問題、震災によって多くが移民生活を余儀なくされたシチリアには、同情的な声が少なくない。カスバ地区の一角でも、「マッツァーラ・デル・ヴァッロ、平和の街」と書かれた新しい色タイルを見つけた。
街のバールで、ピスタチオとアーモンドのジェラートを柔らかなパンに挟んでいただいた。朝から甘いものをいただくこの国の王道に従った後は、電車でカステルヴェトラーノへ移動し、セリヌンテの考古学遺跡を目指した。あまり知られていないが、ヨーロッパ最大の考古学公園だそうで、地中海に面して広がる337ヘクタールもの敷地に点在するギリシャ時代の廃墟と、今度は丸一日、戯れた。
深い乾きを癒してくれるような旅だった。
文・写真=島村菜津
▼この連載のバックナンバーを見る