青いもみじはありえない? 新緑の頃に考える、青楓の‟引き算の美”|花の道しるべ from 京都
3月から4月にかけて、毎日のように桜をいけた。寒緋桜からはじまって、陽光桜、本桜、八重桜と、日々、3~4mの桜の枝と格闘した。4月には、築地本願寺本堂で東京支部展、そして、MBSちゃやまちプラザ(毎日放送本社)で大阪支部展を開催した。いずれも5年ぶり。毎年のように企画しては中止を繰り返しており、念願の開催実現だった。多くの方に、いけばなを愛でていただくことができたのは、華道家冥利に尽きる。
そして、新緑の季節がやってきた。華道家にとっては、怒涛の日々が一段落し、一息つける時期でもある。花見客で混雑していた京都の街も、少しは落ち着きを取り戻した。気候も過ごしやすい。そして、何より若葉のみずみずしさがよい。個人的にも、最も好きな季節だ。
最近では「青もみじ」という言葉を、よく聞くようになった。この言葉は、紅葉で知られる天龍寺塔頭宝厳院の初夏の美しさを多くの方に知っていただきたいと、2006年に京福電鉄がキャンペーンで使ったことから知られるようになったそうだ。これに対し「青楓*」は初夏の季語であり、古くから使われていた。葉の切込みが深いものをモミジ、切込みが浅く「蛙の手」のように見えるのをカエデと呼ぶが、植物学的にはいずれもカエデ属であり、古くから混同されてきた。モミジの語源は、葉が紅や黄に色づくことを意味する動詞「もみづ」に由来するのだから、青いモミジはありえない、と厳しいことを言う方もおられるが、青楓があるのなら、青もみじもあながち間違いとは言い切れない。
いけばなでも、この時期のカエデは重宝する。みずみずしい若葉は生命の息吹を感じさせ、見ているだけでワクワクする。新葉はまだ柔らかく、生まれたての赤ちゃんのように愛らしい。その分、扱いには気を遣う。新葉は特に水揚げが難しく、裏向いた葉や重なり合った葉をどんどん切り落とす。100枚の葉があっても、残すのはたった20~30枚。そこまで削ぎ落とすことで、カエデ本来の枝ぶりや葉の輪郭までが際立つ。カエデの作品を見れば、いけばなは「引き算の美」と言われるのがよく分かる。余分な葉を削ぎ落としたカエデは、一枚一枚の葉がリズミカルに豊かな空間を演出する。合わせるのは、白や青・紫など寒色の花が定番。一層涼やかさが強調される。
この削ぎ落とした美しさは、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエのデザイン論“Less is more”を連想させる。「厳選された、より少ない素材で、より豊かな空間をつくる」という考え方だ。1929年にバルセロナ万博のドイツ館として建てられた彼の代表作、バルセロナ・パビリオンでは、壁の長さや池の配置、そして像の位置に至るまで、そのすべてが厳密に計算されており、そこには不要なものは一つもない。まさにいけばなのデザイン論そのものだ。
文・写真=笹岡隆甫
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