旅の方法 大平一枝(作家・エッセイスト)
仕事部屋のコピー機の上に、息子の就活用エントリーシートがあった。七年前のことだ。第一志望の国際協力機関への下書きらしい。つい志望動機を盗み読んでしまった。”幼い頃、よく家族旅行をして、バリ島で自分と同じ年くらいの物乞いの少年と会った。国際社会の格差を初めて実感したその出来事が志望の原点“というようなことが書かれていて驚いた。
私も夫も不安定なフリーランスだが、休みだけは自由にとれる。貯金をはたいては、幼い息子・娘を連れて十日ほど旅をした。都会のホテルは家族四人だと高く付くので、どの国でも地方を目指し、安宿かキッチン付きアパートメントホテルにした。ベトナムなら漁港のファンティエット、スウェーデンならダーラナ地方の山小屋というように。
スーパーに行き暮らすように旅をするので、地元の人たちとの距離が近くなる。物乞いの少年たちを見たのは息子が小二で、バリ島のサヌールという古い街だった。最初はたじろいだが、そのうち慣れ、家族の話題にのぼることはなくなった。だからそんな幼い記憶が、職業選びの原点になっていたとは、思いもしなかった。
バリ島の前年はカオハガン島に滞在した。セブ島の南東にあり、魚、野菜、肉からヤシ酒までほとんどのものを島民は自給自足する。当時は宿がひとつしかなく、水道も電気もない。雨水を溜め、夜は星明かりとキャンドルで過ごす。高床の素朴なコテージでクーラーはない。料理は宿の大きなテーブルに大皿が並び、客同士でシェアする。魚が新鮮でソテーもグリルも旨い。冷蔵庫がないので、暑い日でも熱い飲み物を飲む。日本のコンビニでは、あれもこれも欲しいとわがまま放題の我が子らが、チョコレート味のミロを大事に飲んでいた。
やることは毎日散歩だけ。ずんずん路地裏を歩き回る。島民のパッシンおばさんは、ココナッツ入りのおいしい手作りパンを軒先で売る。ただし気まぐれに焼くので、いつ出会えるかわからないという噂だった。甘い香りをたどり、それを買えたときは大興奮した。なにしろ島に雑貨屋が一軒きりで菓子屋はない。もちもちのパンは口中を一気に幸福で満たした。
誰もシーツを交換してくれないし、宿にはエステサロンもバーもない。思えば、我が家の旅のスタイルはあそこから始まっている。あちこちに、土地の人々の暮らしを伝える景色があった。断片的であっても、それらが恵まれた自分たちの日々とは全く違う環境や価値観から生まれたものであることは、どんなに幼くても肌感覚でわかったと思う。
帰国後はすぐ慌ただしい生活に戻ってしまい、親としては落第の日々だったが、あの行き当たりばったり旅で、息子の心の奥底に大切な種が蒔けたのだとしたら、よしとしておこうか。エントリーシートをそっと裏返しながら思った。
息子は今、念願の職に就き、妻子とベトナムで暮らしている。先日、一歳児を抱えた家族初旅行の動画が来た。ラオスの小さな町の屋台で焼き飯を食べていた。
文=大平一枝 イラストレーション=駿高泰子
出典:ひととき2024年5月号
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