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イタリアの街・バーリで出逢ったサンタクロースと人生最高のタコ料理|野嶋剛(ジャーナリスト)
各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイ「あの街、この街」。第23回は、台湾や香港に関する著書を数多く上梓されているジャーナリストの野嶋剛さんです。旅で訪れたイタリアの街・バーリで味わった人生最高のタコ料理について。
旅の面白さは、旅程の組み方によって、当初想定していなかった都市に立ち寄り、思いがけぬ出会いがあることである。
数年前の欧州旅行で、クロアチアからシチリアを目指して旅のルートを引いた。クロアチアのドブロブニクからイタリアのバーリまでアドリア海をおよそ半日ほどかけてフェリーでわたり、ミラノに鉄道で入り、ミラノから再びフェリーで地中海をクルーズしてパレルモに行くことにした。ミラノはどんなところかだいたい想像がついたが、バーリはよくわからない。長靴姿のイタリアのかかとの付け根あたりにある港町ぐらいのイメージで、なんの下調べもせずに入った。
バーリの港に到着し、海に面したホテルに荷を下ろしたところで、部屋からおかしな光景が目に入った。
岸壁で男性の漁師がバンバンと音を立てながら白いグニョグニョした物体を地面に叩きつけているのである。近くまで確かめに行くと、白い物体はタコだった。タコをコンクリの岸壁に叩きつけ、くたっと伸びたタコの体を、海水の入ったバケツに入れてモミモミ洗っている。漁師にスマホのグーグル翻訳で「なんでこんなことをしてるのですか」と聞くと、近くのタコを指差した。足がくるっと内側に折れ曲がり、茹でていないのに茹でタコの状態になっている。これが、イタリアの伝統的なタコの処理方法なのだと感動。
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バーリはタコが名物で、タコ料理がいろいろ食べられるらしい。ヨーロッパ人はタコをあまり食べないと言われるが、地中海に面したイタリアやギリシャ、スペインあたりはよく食べる。そして、私はタコやイカなどの軟体系の海鮮には目がない。ここでバーリという単なる通過点が、私のなかで一気に位置付けが変わった。
ランチまでは、しばらく時間があったので、有名なバーリの旧市街を歩いた。石畳の細い迷路のような路地。時々現れる荘厳な教会。古い建物の窓から飛び出した物干し竿。イタリアでも有名な旧市街というだけの風情があるところで、歩いても歩いても飽きがくることがない。これぞイタリアという風景が広がっていた。
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そのうちにサン・ニコラ教会のところに出た。バーリの守護聖人である。ニコラは3世紀から4世紀にかけて多くの奇跡や善行を示したとされるキリスト教の聖人で、サンタクロースのモデルとも言われる。身売りされそうな娘たちの家に、金貨を投げ込んだら、家に干してあった靴下に金貨が入った。それが靴下にプレゼントを入れる元になったとか。もとはバーリの人ではなかったが、いろいろあってバーリの守護聖人になった。
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2時間ほど歩いてお腹を空かせ、ランチの時間になっていたので、シーフードメニューが並んでいる庶民的なレストランに入った。
タコのグリル料理を頼んだ。たぶん生涯で最も美味しいタコ料理の一つだった。オリーブオイルでさっと塩味で半生程度に炒めたもので、タコが口の中で溶けていくようだった。ついでにタコサラダも頼んだ。こちらもキリッと仕上がった味で、タコづくしでも全然飽きない。締めにピザを頼んで白のボトルを飲み干した。
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バーリについて予備知識は何にもなかったが、いろいろ面白い出会いがあるものである。そこで私はふと沢木耕太郎の『深夜特急』を思い出した。インドに飛ぶ予定だったが、トランジットで数日だけ訪れる予定だった香港に沢木ははまってしまった。そのまま香港に数週間も滞在を続け、深夜特急第1巻はほとんど香港の話で終わるぐらいのめり込んだ。私も当初は一泊の予定にしていたが、三泊に変更してバーリの海の幸を食べ尽くした。バーリではタコのほかにも、ウニやイカを使ったパスタやパンも美味しかった。
旧市街を散策してサンタに出会い、タコに舌鼓を打つ。私にとってバーリはもう一度訪れてみたい、忘れられない街になった。
文・写真=野嶋剛
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野嶋剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト・大東文化大学社会学部教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞入社後、政治部、シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。各メディアでの執筆、テレビ出演、講演などを活発に行っている。著書に『ふたつの故宮博物院』『台湾とは何か』『香港とは何か』『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。最新作は8月刊行の『台湾の日本人 故郷を失ったタイワニーズの物語』(ちくま文庫)。
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