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俺たちは備えてきたんだ、だからくよくよするなよ。(名古屋市千種区 千代田橋緑地野球場)|旅と野球(5)

全国津々浦々にあるもの、それは美しい空と自然、そして野球場。誰もを魅了するスターだって、彼らに憧れるスター候補だって、諦めちゃった趣味人だって、グラウンドに立てば皆同じプレーヤーである。彼らが、日本のどこかで野球の試合を繰り広げている様をスタンドに座って観戦して、人生の縮図みたいな展開に熱中し、選手たちに声援を送ることで、私たちは「自分のこと」も、いつしかそっとなぞるようになる……。
ふらふらして頼りないけど、ちょっとだけ心の中が穏やかになるかもしれない。そんな風変わりな野球観戦記。

連載:旅と野球

「相手に失礼じゃないか。あんなプレーをしたら」

 50代と思しき鬼コーチが強い口調で、少年たちを諌める。

 ここは名古屋市内の北側を流れる矢田川の河原に設けられた野球場。穏やかな陽気のもと、少年野球の試合が行われている。

 見たところ練習試合のようだった。トーナメント戦のような緊迫感はない。だがユニフォームのロゴから察すると、片方のチームはまあまあ遠くから来ているようだった。手間と時間をかけている分だけ、気持ちも入っているように見えた。

 対する鬼コーチのチームは、わりと近くから来ているようだった。気合いはそれなりにある。だが、相手との戦力差は明らかだった。

 投手は制球に苦労していた。ストレートのフォアボールを連発し、苦し紛れにど真ん中に棒球を投げては打ち返される。外野手たちはその打球を後逸し、内野手たちは持ち場を離れて一緒に打球を追いかけてやすやすと長打にしてしまう。守備の要たる捕手は味方に指示もせず立ち尽くし、走者たちは続々とホームに返ってきた。

 球審を務めていた鬼コーチは、自チームの体たらくを前に辛抱強く冷静なコールを続けていたが、長い長い守りの時間が終わって、最終回の攻撃に移る前にもの申すと決意したようである。

「まず声だ。ああいう場面では、声を掛け合っていこう」

 鬼コーチの大声が可憐な花が咲く春先の河原に響き渡る。

* * *

 久しぶりの試合観戦だった。

 野球を見ることをさぼっていたわけではない。冬の間、行く先々でつとめて野球場を見て回っていた。

 年末には二つの球場を訪れた。

 倉敷市の茶屋町駅から水路が縦横に流れる田園風景を歩いた先にある球場も、広島市の可部駅から山あいに入ったところにある球場も、グラウンドには誰もいなかった。可部の球場には、熊出没注意と書かれた看板が掲げられており、麓で当てずっぽうに入った店のラーメンのあまりの旨さに浮かれていた僕の気分を一瞬で凍り付かせた。

 年明けに訪れた山形県の白鷹町は一面の雪景色だった。万一があるかもと、丘の中腹にある球場へと向かい、誰の足跡も付いていないスタンドに入ると、お白粉をはたいたかの如き純白で滑らかなグラウンドが広がっていた。

「ここら辺は、冬の間はやらないねえ」

 夜に訪れた居酒屋でそのことを話すと、即座に答えが返ってきた。

「雪が溶けるのを待つんだ。俺たちはさ」

* * *

 どうしても試合を見たいのであれば、確実に行われているところに足を運べばいいだけの話である。そう考えて、我が中日ドラゴンズの春季キャンプを沖縄まで見にいくことも考えた。

 だが、この冬はシーズンオフらしい野球との付き合いをしたかった。プロ野球が開幕したら否応なく試合を見に行って一喜一憂するのは自明の理である。オフにこそ、”たまたま”訪れた先の日常に野球が組み込まれているさまを見て、感慨を催したい。そう考えたのである。

 沖縄に行ったら、興奮してドラゴンズの戦力分析を始める自身の姿が目に浮かんだ。俯瞰して見ると、面白そうでもあったが、その滑稽さは開幕後に否応もなく発揮することになるであろう。高校野球や社会人野球でも、似たような結果になるはずだ。

 だったら、旅先の大小さまざまな球場を頑張って見て回ろう。そこで繰り広げられる試合を見よう。その設定自体に無理がある、と茶屋町も可部も教えてくれた。だが、僕は当てずっぽうの球場巡りを続けた。年を重ねると角が取れて柔軟な思考ができると思っていたが、僕に限っては、ますます意固地になっていくだけのようである。

 沖縄訪問を反故にした空白を埋めるように入った神戸への出張の際には、オリックス・バファローズが準本拠地にしている、ほっともっとフィールド神戸を見にいった。

 数日にわたるイベント参加を終え、くたびれていた。あんまり無理するのは蛮勇だぞ、ともう一人の自分が囁くのを無視して、市の中心部にある会場からクルマを走らせた。

 球場は、山あいを通り抜けた先にある総合運動公園の一角に設けられている。公園の広大な駐車場ががら空きの時点で結果はわかっていた。いくら休日とはいえ肌寒い季節の夕暮れに、試合なぞ行われているはずはない。

 それでも球場に向かったが、案の定スタンドの入り口はしっかりと閉じられていた。人気のない事務所の入り口にはバファローズのポスターが貼られ、エースの宮城大弥が力み返った表情でこちらを見据えていた。その投げっぷりの良さで応援している投手の勇姿だが、よれよれになった心には刺さってこなかった。

 球場の周りは遊歩道になっており、近所の人々が散歩したりジョギングをしている。西陽を浴びて、母が幼い娘の手を引いて歩く姿が、いつも以上に尊く見えた。

 神戸は出張自体がタフだった。ただでさえ無理な分量のタスクを詰め込んでいるところに、面倒な仕事の案件も抱えていた。黎明期のパソコンもかくやとばかりにつつましい僕の脳内メモリはたちまち満杯になり、パンクしていたようで、気がついたら、ホテルの立体駐車場に勢いよく愛車の後部の天井をぶつけていた。

 人と人の持ち物を傷つけずに済んだことが、救いだった。修理も保険でカバーすると決めた。くよくよするなよと自分に言い聞かせたが、日々の”当たり前”は、あまりにも容易く崩れることを実感させる小事件は、僕を暗い気分にさせた。

* * *

 収穫は得られないまま、僕は道向かいの新興住宅街に足を向け、目についた公園のベンチに座り込んだ。

 ほどなく17時を告げる音楽が流れ出し、父親たちが各々の子どもたちの手をひいて家へと帰り始める。疲れた足を伸ばしながら、少しずつ暗くなっていく広場を眺めていると、小学生と思しき3人組がキャッチボールを始めた。

 小さな子どもたちがいなくなり、広場の全面を使える日没前は、野球をする彼らにとって貴重なひとときなのだろう。広場の両端に立って遠投を始めた。ぎこちないフォームで投げられたボールが行き交う。

* * *

「ボールを持っていない時も試合に集中しろ」

 矢田川の鬼コーチの叱咤は続いていた。先ほどの守備を見ていたら、言いたくなる気持ちは痛いほど分かるが、ちょっと長いな、と思った。相手チームの投手の投球練習もそろそろ終わるタイミングである。

 気の毒になって選手たちの表情を覗き込んだが、案に相違してあっさりとした顔が並んでいた。ベンチ横に並んでいる保護者と思しき母親たちも気色ばむ様子もなく、むしろ涼しい顔をしている。他のコーチはと見ると、芝生で遊んでいる選手のきょうだいと思しき小さな子たちに話しかけるも軽く無視されて悲しそうな顔をしている。

 鬼コーチとの温度差に心がひやりとしかけた。だが、彼らは白けてはいなかった。

「いい試合に、しようぜ」

 鬼コーチが言うと、皆は力強くうなずくのである。

 先頭打者がバッターボックスの足場を固め、相手投手がプレートに足を乗せて、審判に戻った鬼コーチがプレイのコールをかける。母親たちは、頑張って、と声を揃える。小さな観客たちに袖にされたコーチも気を取り直して、太い声で声援を送る。

 信頼関係が築かれているから、周りも一喜一憂しない。チーム全体に流れるそんな空気が見て取れた気がして、僕はなるほどいいチームじゃないかと頷き、一瞬で彼らのファンになった。

 だが、アドバイスひとつで劇的に上手くなるのだったら、世の中は大谷翔平や佐々木朗希だらけになっている。気合十分で挑んだ最終回の攻撃だったが、相手チームの機敏な動きの前に1点を返すのが精一杯で、試合は終了した。スコアボードがないので分からないが、おそらく贔屓チームの大敗である。

 にこやかな顔で両チームのコーチ陣が挨拶を交わす中、僕は選手たちの様子を見ていた。

 先ほどと同じく悔しがる様子こそ見せないものの、彼らは、気の合う仲間同士で素振りや投球練習を始めた。

「悪いんだけどさ、打席に立ってくれない?」

 控え投手が素振りをしていた選手に声をかける。ミットを構えた捕手が、外角低めの制球を磨こうぜ、と野村克也が降臨したかの如き練習テーマを伝える。

 それ、試合前にやることだろ、と思わず言いたくなったが、彼らはどこまでも真剣である。

 背後では、両チームのコーチたちがトンボでグラウンドの整備を始める。その真意がどこにあるかは察するより他はないが、子どもたちに後始末を強制させない姿勢は、心地よいものに感じられた。

 過程がどうであろうと相手との技術に差があろうと、上手くなりたいと考える選手たちがいて、自主的に練習をはじめる。一見、のんびりしているように見えた彼らの心に火が灯る瞬間に立ち会えた気がして、僕の心の中も温かくなってきたような気がした。

 もし彼らの中で、さらに先へ、と歩みを進める子どもが出てきたら、今日、何も言わずにグラウンドの整備を行ってくれたコーチたちに感謝するだろう。それは、間違いのないことだと思えた。

* * *

 神戸の公園の3人組がキャッチボールをする姿が脳裏によみがえってきた。

 彼らのうち2人の年長者が、年下の少年に教えるという図式だった。だが、やっていくうちに年下の少年の方が明らかにセンスがあることが見えてきた。年長者が投げたショートバウンドの球を上手にすくい上げ、綺麗なフォームで返す。勢いのある球は、年長者が差し出したグラブを弾く。気まずそうな顔をする年長者たちに対して、少年はすべてを吸収したいという表情で飛んでくる球を理にかなった半身の姿勢で待ち構える。

 考えてみればこの冬は、試合こそ見ていなかったが、公園や学校の校庭で野球をやっている子どもたちの姿は各地で見ることができた。白鷹町の純白の野球場のそばにある公園では、ふたりの少年が野球をやっていて、バットがボールを叩く乾いた音を、休日の静かな町に響かせていた。

「春になったら、野球だってなんだって、また始めるよ。冬はね、その時のために準備する時間なんだ」

 居酒屋で隣り合った男性は、山形の冬のスポーツ事情をひと通り語ってから、そう締めて、ビールをぐいと飲み干していた。

 彼の言葉どおり、野球にとって、冬は準備の期間である。だから、僕が訪れた各地の人たちは、試合が再開する時に向け、それぞれのやり方で備えていた。

 現状を維持するのか、高みへと向かうのか、あるいは、少しずつ降りていくことを志向するのか。思惑は百人百様である。だが、いずれにしても、休みの日に野球の試合が開催される当たり前を当たり前にするための営みは尊いものだった。そして意地を張ったことで、いくつかの貴重な光景を見られたことの幸運を、ようやく噛み締めることができた。

* * *

 矢田川の選手たちはなおも自主練習を続け、大人たちはトンボをかけ続けた。

 その中に鬼コーチはいなかった。どこ行ったんだと見渡すと、彼は公園の事務所のある方角へと歩き出していた。時計を見るともうすぐ16時。おそらく貸し出し時間のリミットなのだろう。足早に歩く彼を見て、思わず僕も立ち上がった。

 ひと言、声をかけたいと思ったのである。

 お疲れさま。くよくよせず行きましょう。

 何か適当な言葉はないか考えあぐねているうちに彼はなおも足を早め、僕は追いかけるのを諦めた。神戸からずっと続いていた疲れが、ゆるやかに消えてきていることを実感した。

 再来週は、春休みで寮から戻ってくる息子らと一緒にオープン戦を見にいくことになっている。

 野球観戦が始まる季節に向けて、これ以上ない準備ができたと感じた僕は、踵を返して、バックドアが凹んでいる愛車に乗り込んだ。

文・写真=服部夏生
イラスト=五嶋奈津美

服部夏生(はっとり・なつお)
1973年生まれ。名古屋生まれの名古屋育ち。幼少時、テレビ中継で田尾安志の勇姿を見て、中日ドラゴンズのファンとなる。小学生の頃は、当たり前のようにプロ野球選手になることを妄想し、ドラフトで永遠のライバル、読売ジャイアンツに指名されたらどうしよう、と本気で悩んだが、満を持して入った野球部でほどなくフィールドプレーヤーとしての才能の限界を痛感、監督に勧められてスコアラーとなり、データを分析してチームを下支えすることに喜びを感じるように。大人になっていつしか野球を見ることもなくなり、社会の下支え係も大して全うしないまま馬齢を重ねてきたが、『ほんのひととき』での連載「終着駅に行ってきました」の取材で偶然目にした草野球に感銘を受け、観戦を再開することに。著作に『終着駅の日は暮れて』(発行:天夢人、発売:山と渓谷社)、『日本刀 神が宿る武器』(共著、日経BP)など。

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