消えゆく町、消せない思い|千石英世(米文学者・文芸評論家)
サザエさんの住んでいる町は、町であって「街」ではないだろうね。サザエさんは、それにカツオ君にしても、ワカメちゃんにしても、きっと町のおうちのひとなんだ。町に比して、街には生活の匂いが感じられないということなのかな。街って字には画数が多いし、見た目縦長の文字だし、「街」と書くと街はビルディングが立ち並ぶ街になり、一方、「町」と書くと近くに商店街でもありそうな町となるのじゃないかな。
タワーマンションが立ち並ぶウォターフロントの素敵におしゃれな街など、町という文字を受け付けないだろうね。「おしゃれな町」と書いてもピンと来ない。マンション業者の宣伝ビラには使わないコロケーションだろうね。やっぱ「おしゃれな街」。
そんな街が拡大し、そんな町が消えていくのだ。今。
東京では京成鉄道立石駅まえの「町」が消えるらしい。小田急鉄道下北沢駅前はおしゃれな「街」に進化してしまいました。北九州市小倉の角打ちの商店街は無事だろうか。大阪の十三は大丈夫だろうか。
と書いてきて、きみは飲み屋街のあるマチを「町」といっているのかな? と、そんな声が聞こえてこないでもないのだが、それはそうかもしれない。いい飲み屋が複数軒あるマチは良い町なのです、という思い込みがあるのだろう。時代が昭和を離れて令和にくだっても消えない思いなのだな。中高年以後の男性の、と但し書きが必要かもしれないが(でも、飲み屋街も商店街も、「街」と書くね。そここそ町らしい空気の流れる場所なのにね)。
とここまで書いてきて、気づくことは、今、「町」が人為的に構築されはじめているらしいということだ。パリのパッサージュが健在だからね。パリのパッサージュは街ではなく町です。味のあるしぶい商店「街」、いやいや商店の集まる「町筋」ですね。
というわけで、最近の首都圏の都心の大規模商業ビル、大規模オフィスビルには、人為的に「町筋」を構築するのが流行しているようです。「食堂街」「食堂フロアー」「フードコート」に人為的に町筋を作るわけです。赤提灯や縄のれんが似合うフロアを作ろうとしているわけだ。成功しているかどうかは別の話ですが。そもそも最近はサンダル履きや下駄履きで町筋を往来するひとはいないものね。ツッカケという履物も最近はないですし、ツッカケは死語ですかね。ツッカケは、クロッカスだったかクロックスだったかに入れ替わったみたいです。さて、
これは野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡の名曲、その2番ですが、時代の遠さを歌っているのではなく距離の遠近をいっているのですが、何か時間の遠い、近いを感じさせますね。「町」という字には、昭和は遠くなりにけり、と夕陽が隠れているのではないでしょうか。
文=千石英世
▼近刊『地図と夢』(七月堂、 2021年)
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