味噌作りは、未来への架け橋
毎年、近所の方に誘ってもらって、味噌作りのお手伝いに行っている。今年で3年目になる。
私の住んでいる地方は米どころで、水も山の雪解け水や清水を使っているところが多く、味噌も雑味がなく仕上がるのだ。この地方に来た人に味噌を分けてあげると、大抵の場合はファンになってくれる。私も、小さい頃から祖母の手作り味噌を食べてきたので、ここの味噌が一番好きである。
味噌作りは1日がかりで行われる。まず、前日から大豆をうるかし(水につけてふやかすこと)、一晩置く。そして次の日の朝、大豆とつけておいた水を大鍋に移し、火をたいて豆を煮る。豆を茹でずに蒸す方法もあるが、豆はアクが強くてえぐみがあるので、茹でたほうがアクが抜けて良いそうだ。
アクを取りつつ、3~4時間ほど煮ていくと、大豆が柔らかくなってくる。このあと大豆つぶし機(豆絞り機)で豆を潰すので、柔らかめにしておく。
ザルなどで大豆をすくい、少しずつ大豆つぶし機に入れて絞り出す。絞り出されたミンチ状の大豆と計量しておいた塩を大きな容器に入れて混ぜ、大豆の茹で汁を追加して塩を溶かし、好みの硬さに調節する。60℃くらいまで冷めたら米こうじを混ぜる。
米こうじを混ぜるところからは女性の仕事だ。女性の手にはそれぞれ違う乳酸菌があるそうで、おいしい味噌を作るには、女性しか混ぜてはいけない、らしい。近所のお母さんたち曰く「女性は育む性だから」なんじゃないか、とのこと。
数人の女性でしっかり味噌だねを混ぜたら、空気を抜くようにしながら味噌樽に移し、数日してから密封して半年~3年ほど寝かせれば完成だ。
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味噌作りは重労働な上に時間がかかるので、集落が総出で行うことも珍しくない。昔は、味噌は高級品だったため、味噌作り自体がお祝いごととされていたそう。なので、豆を煮たらご近所さんに豆を配る風習がある。配られた家も、お返しの品をそれぞれ持ってきてくれたりする。
今回は、高齢化の進む集落で味噌作りをしたこともあり、参加したのは主催者家族と私含め手伝いの方が4名ほど。高齢の方は参加しないで見学にだけ顔を出してくださった。「昔はね、こういうふうにしたのよ」とか「こうするとうまいんだよ」とか、ずっとここで暮らしてきたからこそ分かる知恵や知識を話していただけるので、私は味噌作りが好きである。
確かに、休日がまるまる潰れるので、このようなムラゴトは面倒だなあと感じることも正直ある。でも、こういう「口伝の伝統」は、継承するものがいなければどんどん消えていってしまう。
私は、この町ではまだまだ若手の部類に入るので、手作り味噌の味とか郷土料理の作り方とか、「自分がなくなってほしくない伝統」に関して、積極的に『なくならない努力』をしたいと思う。
この地方出身の実家の母や叔母は、祖母亡き今、私の作る味噌を「はなちゃんの作る味噌が一番おいしい」と心待ちにしてくれるようになった。母や叔母は関東地方に住んでいるが、味噌を食べるとここに帰ってこられるんだと思う。
故郷の味って、きっとそういうものなのだ。私は子どもがいないし、多分この人生で産むことはないだろうけれど、その代わり、この町やこの地方の伝統や郷土料理の味、この地域に生きる人々の知恵を後世につなぐ役割を担いたい。
そういう生き方があってもいい。味噌作りは未来への架け橋なのかもしれない。そう願っている。
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