noteは私の「本音」の1ページ
私は、周りの人から見たら「何を考えているのか分かりにくい」タイプだと思う。noteでは自分のことをそこまで隠さずに書いているので、そういう印象がないかもしれないけれど、リアルの私は「読み取りにくい」人間だろうな、と感じる。
むかし、心理カウンセリングとか心理療法とかの仕事をしていたこともあって、基本的には口が堅いほうだ。これは、人から聞いたことを言わないことに加え、自分のこともノーガードであけすけに語らない、という形で自分自身にも影響を及ぼしている。
noteなどに書いていることは、「リアルの知人が見たとしても問題がない本当のこと」なんだけれど、内容的には『リアルの知人に見られたら恥ずかしい』ことで、私が現実で口にすることとは乖離がある。このnoteには、現実で口に出さない本音を書いている。
だから、ペンネームが「ほんねはな(=”本音は”、こう”な”んだの略)」なのだ。
(「はな」という名前は、むかし実家で飼っていたフェレットの名前でもあり、その子がすごくファニーで可愛かったので拝借した、というのもある。)
このペンネームは、noteとTwitterでしか使っていない。インターネット上で使うためのペンネームは今までいろいろあって、気に入ったものもいくつかあったけれど、それぞれ「私の役割」が違うので、統一はしていない。現実の私の名前はひとつだけれど、ペンネームはそれでいいと思っている。
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人生を1冊のノートに例えるならば、このnoteは私の「本音」のページだと言える。
でも、じゃあnoteで本音をバンバン言っているかというと、そうでもない。私は何かを表に出すまでに、頭の中や心の中で自分なりにゴチャゴチャ考える時間が必要だ。その上、自分の中にある「言葉にできない思考や感情」をこの世界の言葉に変換するのにもまた時間がかかる。
最初に頭に浮かぶのは、たいていは抽象的なイメージや思考なので、まずそれを整理して論理的な結論にまとめる作業をする。しかし、そのやり方だとひとつの記事を書くのに最低1時間以上かかってしまうのだ。
noteを始める前までは、アウトプットすること自体にエネルギーを消費して疲れてしまう傾向があって、SNSに書くというよりはアナログなノートに思考を書き出していた。自分しか見ないノートなら、日本語がめちゃくちゃでも、表現が分かりにくくても大丈夫だから。
でも、昔から日本語をはじめとした言語が好きで、文章は読むのも書くのも好きだった。脳内に、私以外の人にも共有したいと感じる思いや考えも存在する。自分だけのアナログノートでも事足りるけれど、気持ち的には何だか物足りなく感じていたのも事実だ。
続けられるのかな、どうなのかな・・・。散々迷って、noteを始めた。おっかなびっくり、自分の中の葛藤と対話しながら記事を書いた。書いてから『こんなこと書いちゃったけど、引かれたらどうしよう』ってソワソワしたりしながら、それでも『ここは私の本音を書く場所だ』と、少しずつ 少しずつ書いてきた。
今では、「自分を出すときにどう書いたらいいか」みたいなものがちょっとだけ分かったので、最初に比べたら気楽に書けるようになった。別に本音にこだわらなくても、考えたことを素直に書けばいいと頭では分かっているつもりなんだけれど、まだ抵抗や恐怖心は残っている。
特に、子どもの頃から「お前は変だ」と言われてきた思考の突飛さに関しては、今でも素直に表現しづらい。でも、多分noteの世界の人たちは、そこを嘲笑しないだろう、ということも分かっている。
こうやって、だんだんと「私の本音はこうなんだ」を書いていければいいのかな。本来の私は人見知りで考えすぎなところもあるけれど、ひょうきんで素直、子どもみたいな人間だったはずなので、今年はそういうところも出していけたらいいな、と思う。
今年の抱負、記事としては書いていなかったので、これを抱負にしよう。農業関係の目標は心の中で立てていたけれど、それもおいおい書きます(私は不言実行が多いタイプなのかも・・・)。
だいぶ遅くなりましたが、よろしければ今年も私の「本音」の1ページたちにお付き合いください。よろしくお願いいたします。
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