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読書日記〜文豪だってアオハルする〜
またわたくしと堀口とは新詩社の同輩であり居住も同じ方角で、校の内外でいつも一緒にいるのを見て先生(※荷風)は直木(※生方)に、あのふたりはいったい、どちらがどちらなのだとこっそり聞いたこともあったとか。先生はわたくしどもを男色関係の二人と見ていたものらしい。
第一章 永遠のニコイチ
ある夜、来客が帰ったあと、金田一と床の間の花瓶の桜の花を部屋いっぱいに敷いた布団の上に散らして子供のようにキャッキャ騒ぐエピソードは切ない。彼らの青春の終わりを象徴するシーンのようで。
第二章 早すぎる別れ
「文豪たちの友情」 石井千湖著
『文豪』と聞いて、あなたには誰が思い浮かびますか?
そして『文豪』とはどんな人々だと思いますか?
人によって答えは様々でしょう。
夏目漱石、芥川竜之介に太宰治……彼らは傑作を世に送り出した『小説家』であり、日本における近代文学を生み出した人々。
その作品は実に多種多様で『坊ちゃん』や『鼻』に『細雪』、そして『檸檬』に『雪国』など挙げだしたらきりが無い。
共通する事柄は、彼らはみな『偉大な作家』であったという事でしょうか。故に私達は文豪の作品を手にす時、少し躊躇いがちになるし、どこか畏敬の念を抱くのだと思います。
だがしかし。
忘れてはいけません。
『文豪』は生まれた瞬間から『文豪』だった訳では無いし、彼らにだって友人と共に迷い、傷付き涙して、笑い転げる時代……『青春時代』があったのです。
そんな作家達の儚くも熱い友情を纏めた本が『文豪たちの友情』になります。
『永遠のニコイチ』『早すぎる別れ』『愛憎入り交じる関係』に、文庫化の為ため書き下ろされた『もうひとつの家族』の四章で構成された本書は、国語の教科書では絶対に教えてくれない文豪達の人間関係、友情関係をその生い立ちから始まって、友情が生まれ終わるまでのエピソードを面白可笑しく伝えてくれる。
あの人とあの人がここで繋がって、その裏でこの人が……という風に、何となく、近代作家の相関図が出来上がっていくようで、文壇って狭いんだなあと改めて感じた。
個人的には芥川が「猿股(当時のパンツ)を履いていなかった友人に自分の猿股を脱いで貸した」エピソードが面白かったです。履いてない方も方だけど、普通貸すか……?
あとちょくちょく童貞エピソードが挟まるのも面白い。
「俺に童貞を捨てさせろ!」と道端に寝転がって駄々をこねたり、唐突に「僕の童貞はまだ汚されていない!」と誇ってみたり……。
もしかして、男子の悩みって、この頃からあまり変わっていないんじゃ……と想像すると、ぐんと文豪達が身近なものに思えて来ます。
勿論、彼らも人間ですから褒められたものでは無い行動、行為、言動も取ります。
女性に対する扱いも同じで、これは現代を生きる私達にも通じるものがある。
時代が違う。そう言ってしまえば簡単ですが、人間はそう簡単には変わらない。文豪達の小説を読んで現代の私達が感情移入出来るのも、やはり彼らが生きた時代から、人の抱える業が変わっていないからではないでしょうか。
印象的な箇所があります。芥川龍之介の死後、久米正雄によって発表された『或旧友へ送る手記』の一文です。
「君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。(中略)が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりとした不安である」
その才能が故に社会に適合出来なかった男達が『文学』という共通の軸を頼りに寄り添い合って、懸命に駆け抜けた青春時代。
今を生きる私達は『ぼんやりとした不安』に対して、何を軸に生きていくのでしょうか。