235 タイトル未定(仮)
最初からタイトルが決まっているのが一番
書籍では編集と営業によるタイトルについての会議を開くことがあるらしい。らしい、というのは私は一度もそういう場に出席したことがなく、営業の強い某出版社の編集者によれば、そこで決まると動かせないらしい。筆者が考えたタイトル、それを企画書に反映させるときには、編集者の気持ちが入ってくる。もっとも簡単なのは、筆者からのタイトルに(仮)とつけておくことだろう。なぜ(仮)かといえば、「まだちゃんと揉んでないタイトル案なんですよー」ということなのだろう。
しかし、私の少ない経験からいくと、最初からタイトルが決まっていると実に素直ですんなり最後まで行く気がする。よほどの事情(類似タイトルの本が先行してしまう、など)でもない限り、作り直すことなく、書店に並ぶところまで行けば一番いい。
困るのは、優柔不断な人たちによる「決まらない」状態である。少しミーティングしても「もう少し練りましょう」と結論を先送りにするケースだ。これは、装丁だけではなく、書誌情報を先行するのでいつまでも(仮)では発売日を決めることができない。
ある出版社ではすべてのタイトルを社長決裁となっていて、出会い頭でバーンと決まっていくらしい。著者の希望は却下される。つまり出版社として「われわれが出したいのはこのタイトルの本だ」と言われてしまうわけだ。
雑誌の記事では、最初からタイトルが決まっていることも多い。「このタイトルの記事を書こう!」という企画書になっていて、そこにライターやカメラマンやデザイナーが参加していく。もしタイトルに手を入れるとすれば、企画した編集者の気が変わったか、デザイナーによって文字数の制限をかけられたときだ。「15文字でお願いします」といった感じで。
雑誌の場合、パターンがだいたい決まっていて、タイトル、サブタイトル、リードの文字数は企画書段階でもうはっきりしている。先にレイアウトもパターンになっているから、書き上がった原稿データは流し込んで終わる。webの記事でもだいたいそうなのではないか? 文字数を決められて、なおかつタイトルで強調して欲しい文言も決められていることが多いだろう。
そこへ行くと、書籍の場合はもう少し事情は違ってくる。
売れるタイトルを探す
書籍の場合、営業面から「売れるタイトル」を求められることが多かった。時代の要請もあり、「疑問文」のタイトルが売れていると、「?」で終わるようなタイトルを求められることもある。「否定文」のタイトルが売れていると「するな!」といった常識を否定するタイトルが求められたりもする。文字数も、「長いタイトルがウケている」なんて言い出したら、「もっと文字数を増やせばいい」となったりもする。
タイトルはこうして先行していて売れているものの模倣、あるいは逆を行くような方向が出さることもあれば、著者のネームバリューに頼ってある程度の売れ行きが予測できる場合は思い切って斬新なタイトルにすることもある。著者の権威に頼る場合はきわめてオーソドックスなタイトルになることもある。
一方、電子書籍で比較的手軽に名も無い私のような人間でも出版できてしまう現状によって、タイトルを著者によってストレートにつけてしまうケースは増えていると思う。著者には著者の思いがあるので、そのままタイトルに反映させてしまっていい、と私は思う。とはいえ、なにがなんだかわからないタイトルをつけることも多いのではないだろうか。私はそれが好きだけど、恐らく少数派だろうから、認知度を高めるためには、少し工夫した方がいいかもしれない。
書き手としては、タイトルありきの場合は、途中で挫折することが多い。いわゆるタイトル負けである。思いはあるものの、壁にぶつかると乗り越えられないことが多い。下手に乗り越えると、タイトルから離れていくことになる。書き終わってみて「このタイトルじゃないな」と感じてしまう。
いつも浮かぶのは水村美苗著『本格小説』だ。とてもおもしろい小説であったが、このタイトルはスゴイなと感じた。だって本格小説だもの。こういうタイトルを見つけたら、やっぱりつけたいよね。と同時に、タイトル負けしそうで怖くもある。ちなみにこの著者、『新聞小説』『私小説』も出している。いずれも小説である。小説に「○○小説」とつけちゃうのは、やった者勝ちである。と同時にこれを許される著者は少ないはずだ。
私は実はタイトルは苦手なので他人任せでやってきたこともあって、自分でつけるのは正直、考え過ぎないようにしているけれど。気づけばこのnoteの記事のタイトルはあまり考えないでつけてきてしまったので、いまさらどうにもならない。「名は体を表す」となっていないし「羊頭狗肉」も多い。困ったことだとは自覚している。
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