97 書く時間をつくる
筆を選ばない、とは言えない
道具に頼らないことは、美徳のひとつかもしれない。一方、道具に凝ることも美徳になるかもしれない。どっちでもいいのだが、もしも結果を悪い方に導くとしたら、それはよくないことだろう。
1980年代、私はワープロを使っていた。当初は実質1行しか表示されなかったのだが、それが徐々に液晶画面が大きくなっていく。変換はいまのように先読みしてくれないので、逐次、該当する文字を選択することになる。
社内で自分のワープロを持ち込んでひとりで原稿を作っていたが、やがて東芝ルポが登場して、会社も編集全員に配布した。ワープロが当たり前になってきた頃、私は画面の大きなNEC文豪を使っていた。
文章を書くときはワープロ。検索したり表計算を使うときはPCといった使い分けは、正直、バカバカしいと思っていたのだが、ほどなくWindows95のおかげで、ひとり1台PCの時代へと移行した。
こうなると、40年以上、キーボードで文章を書いてきたことになる。
当初は、アップルを使っていた。PC98シリーズは会社で使っていたが、自宅ではアップルである。「漢字トーク」の頃の話だ。だが、Windows95が出てからはWindowsも使い始めた。
アップルのマッキントッシュについては、デジタルプリプレスを学びはじめた関係で、一時は100万円ぐらい投じていたのだが、技術が進歩してくれたおかげで、もっと安価なシステムでも問題なくなっていった。
OSが新しくなるにつれて、ハードも安いものが登場する好循環。そしていつしか、秋葉原でリース落ちの中古PCしか買わなくなった。いまもLet's noteを使っているが、中古だ。
スマホとATOKとDropbox
ノートPCにREALFORCEのキーボード(東プレ PJ0800 REALFORCE106UB、2006年頃のモデル)をつないで使っている。17年も使っているのか。もっとも忙しかった時期、指の関節がおかしくなってきたので、いろいろキーボードを探した結果、これに落ち着いて使い続けている。K、N、Mそして「、。」のキーボード部分はすっかり剥げてしまっている。 スマホの進歩、あるいはネットの進歩、あるいはクラウドのおかげもあって、いまは別にPCでなければ文章が書けないわけではない。スマホやタブレットでも書くことができる。
ATOKのパスポートを使っているので、PCとスマホは同じ辞書で変換されていく。データはDropboxやGoogleドライブで共有できる。PCでざっくり必要な情報を書き、必要な資料を用意すると、あとは、電車の中でスマホで原稿を書くことも可能になった。夜、布団に入ってからも、気づいたことがあれば書いたり、修正できる。
つまり、道具を選ぶことなく、いつでもどこでも、執筆は可能だ。
問題は時間である。
分散と集中
落ち着きのない子として育った私は、ひとつのことに集中する時間は少ない。40分か50分が限界だ。本来、何事も、集中することが尊ばれているし、大きな成果を上げている人たちの集中力は怪物級だろう。
だけど、これは私の問題だ。
というわけで、私は集中することを最初から諦めている。
そんなことで、これまでよく締め切りに間に合ってきたものだと思うし、このやり方を誰かにハウツーとして示すこともできない。それは、自分のパーソナリティとやり方が完全に一致してしまっているからで、イメージとしては、脳と機械が融合している。
指先がキーに触れる感触は、ひとつずつの粒立ったものではなく、ザーッと一塊の、通り雨のような感覚で、脳内に生まれて来た言葉を指先から打ち込んでいくのである。
ある時から、分散してもぜんぜん問題ないことがわかって、複数の原稿を同時並行で処理していく。それも、途切れ途切れで構わない。注意点はどこまでやったかを、わかるように記録しておくことだけだ。
コメントをつける、行を不必要に開けるなどして、どこまで進んでいるか、どこまで手直ししたか、わかるようにしている。
もちろん、アプリケーションによってはコメントをつけたり文字に色をつけたりもできるけれど、クラウドでどの端末からも同じように扱えるようにするためには、シンプルな、プレーンテキストでまず原稿を書き上げてしまった方がよい。
その意味では、テキストエディタには多少のこだわりはあった。いまはそうでもない。MeryとVerticalEditorをPCでは使っている。Wordや一太郎は仕上げ用として使うことが多い。
このnoteは、まさにいつでもどこでも書けてしまうし、ブラウザでログインすれば、たいがいの端末から入って書いたり編集できるから便利だ。テキストエディタに書くように、書いている。
分散して集中する。これが、私のやり方になっている。
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