指定難病に対する世間との差

例えばオレの場合、ネフローゼ。

今回再発してインターネット時代最盛期の闘病というものをしている。おかげで、たくさんの闘病の日記を目にする。そんな中24年前とまったく変わらないロジックに気がついた。

周りが病気を理解してくれない

多くの方が説明をあきらめ、人知れず傷付いて涙を流している。プレドニンを使用している難病もネフローゼ以外にも多くあり、「元気に見えちゃう」というパラドックスに苦しむ。俺もそうだった。今はまだましだけど今後そういう芽は出てくると思う。

「元気そうだね」という言葉で傷付かれても周りにしてみたら知ったこっちゃねぇが本音だと思うけど、患者たちは自分たちの身体の中の苦しみや症状が外に出ない苦しみで喘いでいる。

患者たちだって本当はそう思いたくないし、そんな気持ちになってしまうことが自己嫌悪につながる。本当に嫌な感情だと思っている。

どうにもならない思いはやがて「どうでもいい」になっていろいろと扉が閉じていく。

人は見た目で判断するという痛感

誰がなんと言おうと人は見た目で判断していることを理解してしまう。

良い人そうとか悪い人そうとかならあやふやだけど、「自分が病気なのに元気そうに見られる」というロジックは上記を証明するに余りある。そして、その類の言葉はたいてい親しい人が悪気なく発するから溜まったものではない。

ああ、そうか、自分を振り返ってそうだったし、周りはもちろんそうだということに気がつく。綺麗事が多い世の中で、ひとつの真実と行ったら大げさだが何かの確信がこの点だ。この事は思いのほか大きく、以後、そういうもんだという理解の上で人付き合いが始まってしまうわけ。どうせ、どうせの積み重ね。

慰めてほしいわけじゃない。ただ、真実と違いすぎる認識をされた事に戸惑う。あれ?って思う。

解決方法はあるかな

たぶん自分も同じ事を他人にしていると思う。傷付けているだろうし、思慮の浅い言葉をかけている。気付くときも気が付かないときもある。

とりあえずの解決策はまず聞くことだと思う。

自分は後回し。相手にまず話してもらえればいろいろと情報が増える。その上で話していけば思い込みの言葉は防げる。聞いた上で間違うこともあるだろうけど、それは自分の不勉強だ。そこは反省して謝って次につなげる。

今のところそれくらいしか思い浮かばない。あとは月並みだけど思いやるということか。独りよがりと思いやりは間違えてる人が多いけど。

でもこの相手の話をまず聞くって商売の基本だよな、と密かに思う。商売のあれこれは本当に人生でいろいろと役に立つことが多い。学んでよかった。

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