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本嫌いの私が、noteを始める。

初めまして。

いきなりですが、私は読書が苦手です。
タイトルには「嫌い」と書いていますが、嫌いというほど、本に対して上から目線でもの言えるほど、偉い人間ではありません。
でも文字の音として「本が苦手」より「本嫌い」の方がいい気がしたので、「本嫌い」とさせてもらっています。

本に特段怨みがあるわけではなく、本がただ読めないのです、自分のせいです。
文字を追い続けるほどの集中力がきっとなく、いつしか章が終わるまでのページ数ばかりを気にしてしまいます。自分の中できっと本を読むことが「課題」になっていたのかもしれません。

本を読めるようになりたいです。これは小さい頃からの夢です。
本を読める人、一つの世界に没頭でいる人は羨ましいです。
私はできません。情けないです。
本が読めない理由として「人の世界に潜り込むのが嫌だ」であったり、「かなり時間ど労力をかけてインプットしなければならないのが面倒」、「本を読むほどの時間がない、本はながら読みできないから面倒」などと言葉をツラツラ並べていましたが、本当はただ文字を追い続けるほどの力がないだけなのです。
そのため語彙力、国語力がありません。

子どもの頃に遡ります。
子どもの頃から親には「本を読め」と言い続けられ、育てられました。
それも親は文系で、本を読むことこそ正義として育てられていたそうです。
そのため多くの絵本を読み聞かせされてきました。
「懐かしの絵本集」のような画像とかある際は、全て本の内容がわかる程度には読み聞かせられてきました。
しかしどれもその当時を思い出すと「母親の声」と「ベッド」が想起されました。
読み聞かせ以降、自主的に本を手に取ることがなく育っていきました。

とても苦しかったのは小学校の頃の「読書の時間」です。
「デルトラクエスト」や「怪談レストラン」。
手にとって、表紙と睨めっこをし、本を読むふりをして終わる時間を待つ。
表紙はどれも知っていますが、本の内容は全くわかりません、今もなお。
残っている記憶はデルトラクエストの光沢に加工された凹凸のある表紙。
4年生の頃には毎度計算機を読書の時間に持っていき、√2(1.41421356237…)を押せるように特訓をしていました。
おかげで、「ヒトヨ ヒトヨニ ヒトミゴロ」の先を知っています。
計算機が13桁対応だったのです。

中学校受験をする際に大きな壁にぶつかります。
それは国語のテストです。
本を読んでいないからこそ、国語力がまるでなく、偏差値は30を下回ったことさえあります。
テストの時には出題されている長文を読む集中力がなく、「速読風」の飛ばし読みで大体の本文の意味を理解し、問題へ挑みかなり低い点数を取る。
今考えればおそらくほとんど当てずっぽうだったと思います。
毎度の国語のテストでの運試し。本当にいやでした。
速読ができればな、、何度も思いました。
後に「嘘」とわかる「速読動画」を何度も繰り返し見て真似をしました。
おそらく速読は読書を何度も行った末に身につけられる力であるのに、その基礎を飛ばしていきなり「速読」にたどりつければ、と無理なことをずっと考えていました。
(恥ずかしながらその時の国語を全く理解できていないせいでいまだに「助詞」「助動詞」「副詞」など、全くわかっていません)

偶然にも算数や理科が得意だったので、中学受験もなんとかうまくいき、中学、高校と進学します。その後理系として生きていきます。
大体「文系の人」は「数学ができないから文系に逃げた笑」と言って理系が「数学なんて簡単じゃん笑」という会話を繰り広げるのが世の常ですが(私は苦手ですこの攻防戦が)、私は国語ができないから「理系に逃げた」人です。

しかし、高校の頃に国語の成績が著しく良くなります。
それは文に触れる機会が多くなり、文章の書き方を少しだけ理解したからだと思います。
と、期待させる文を書きましたが、単にtwitterをはじめ、twitterでよく書き込みを行うようになったからです。
140字以内にどう自分の起こった出来事を詰めるか、これで苦労しました。
これによって少しばかり国語力が上がったのではないか、と思っています。
そうだといいなという自分の願いも込め、この文章を記しています。

そんな今までに本当に読書をしてこなかった自分が、文字だけで勝負するnoteに文字を書けるのか、気になって始めました。

よろしくお願いします。


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