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止めた方がお互い幸せになる議論。「男性と女性、どちらがお金を払うべきなの?」
よくネットで話題になっていますね。
「女性と食事をしたら男性がお金を支払うべきなのか」
この議論に参戦するつもりは毛頭ありませんが、ただしこの「すべき思考」には注意が必要です。
◎自分を追い詰める「すべき思考」
世の中にはいろいろな「すべき」があります。
「もういい年なんだから結婚すべき」
「親の面倒は長男が見るべき」
「会社の飲み会には積極的に参加するべき」
……こうした「○○すべき」という考え方は思考を硬直化させ、自分自身をも追い詰めてしまいます。
一部の正しさらしさと、そうとも言い切れないものが混在していて、その「そうとも言い切れないもの」に従うのが、息苦しさをもたらしてしまうのです。
書籍『いやな気分よ、さようなら コンパクト版』によると、こういう思考は必要以上のプレッシャーを自分に与えてしまい、かえって自身を罪の意識へと追い詰めてしまうといいます。
それどころか、罪の意識が高じてやる気まで失わせてしまうのです。
実際のところ「○○すべき」ことは、必ずしも実現できるとは限らないですから。
◎「すべき思考」を他人に向けると
この思考が他人に向けられると、もっと大変なことになります。
へたすると、おかしな正義感を振りかざす、痛々しい人扱いされてしまうでしょう。
たとえば「アイツはもういい年なんだから、いいかげん親元を出て一人暮らしすべきだ」と思ったとしてます。
それは人生の先輩としての親心なのかアドバイスなのかわかりませんが、なぜか他人に対するそうした強めな気持ちが頭から離れず、心情を持て余してしまう場面はないでしょうか。
通常なら「余計なお世話だな」「何か事情があるのかも」「そもそもするしないは相手の自由だし」と考え、口に出したりするのを思いとどまるところもあるはずです。
しかし「すべき思考」に囚われていると、「なぜアイツはいまだ実家暮らしなのだ」「いい年なのに」「ひとり暮らしを経験すべきだろう」と、相手に対して怒りを持ったり葛藤を生じたりしてしまうのです。
◎「すべき思考」は気付きやすい
このような「すべき思考」が、自分にとっても他人にとっても良い結果をもたらすことは、おそらくないでしょう。
むしろこうした感情をこじらせると、世の中は思い通りにならないのが常ですから、生きづらくなるばかりです。
ただし「すべき思考」は「認知の歪み」でも自身で気づきやすい方ではないかと思います。
「こうすべきなのに」「なんでこうならないんだろう」「こうあるべきではない」などという考えが頭に上ってきたら、「ああ、例の『すべき思考』がやってきたな」と、心の中で受け止めてみてください。
自分自身が嫌になったり、世の中を苦々しく思ったりする回数は間違いなく減ることでしょう。
今回の話はここまでです。
お読みいただき、ありがとうございました。