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読書とは「双方向的なやり取りの中で読み手が変わっていくこと」と知り。

「読書」とはどことなく後ろめたく、孤独な行為だと思っていました。

「趣味は読書です」とかろうじて口には出すことができても、どんな本を読んでどう感じたかまでは人に踏み込んでほしくなかったのです。
なぜなら読んだ端から忘れてしまうので。

◎趣味は読書です?

「いい本だったなあ」
「あの場面は一生心に残る」
「自分を変えてくれた一冊」

そんな強烈な印象を残してくれた本も、人にアウトプットしたいなと思ったころには「何がよかったんだっけ?」となってしまい、全然語ることができません。
なので、そんな薄っぺらい読書体験で「趣味は読書です」なんて言っていいのかなあと思っていたわけです。

だから自分に言い訳をしていました。
読書とは、それはもうプライベートな領域で、誰かに何かを語るために読んでいるわけじゃないんだよと……。

◎"読書の意味"が変わった瞬間

あるとき、書籍『アイデア大全』『問題解決大全』『独学大全』の著者である読書猿氏が、つぶやいていました。

読書とは「双方向的なやり取りの中で読み手が変わっていくこと」なのだと。

ん? 読書のどこが双方向なんだろうな?

この発言の意味することを少し真剣に考えてみることにしました。
というのも、これまで私が読書として捉えていた何かが、どうも別の何かに変わりそうな気がしたからです。

◎双方向性について考えてみる

当たり前のことですが、本は読者に向けて書かれます。
読み手はそれを受け止める側ではありますが、実は本に書かれているところの意味を問いかけながら、読み進めています。

たとえば「この解釈でいのかな」「さっきの解釈は違ったかも」「まだ判断は保留にしておこう」などと思考しながら、自分の考えを差し出したり引っ込めたりする……そんな密なやり取りが脳内で行われているわけです。

となると私たちの積極的な関与がないと、読書は成り立たたないといっても過言ではありません。

はたから見ると一方通行に見える読書も、著者と読者の間では信頼、対立、協力といったものがないまぜになった思考の交換が行われているのです。
それが読書における双方向性……!

そして、書籍はあくまでそこに存在するだけです。
書かれていることの意味するところに合わせ、変わらざるを得ないのは自分自身の方なのです。

◎変化した読書の楽しみ方

なんだか稚拙な読書論(?)を振りかざしてしまいましたが、今回を機に自分の読書に対する考え方も大きく変わった気がします。

けっきょく自分の読んだ本について人に語るという行為は、読書体験のほんの一部でした。
ただ読む
そのこと自体が読書体験の本質なのでしょう。

もしかしたら読書猿氏が伝えたかったのは、全然別のことかもしれません。

それでも読書がもたらす著者との密な関係性は自分だけのもので、このうえなく貴重な体験だと思うのです。

#大切にしている教え


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