見出し画像

お茶を通して祝い、祈るということ。

日本茶飲み比べに行って、直接農家の方々と話しながら考える共生について。銃弾の飛び交うことのない場所で自然と対峙する共生空間、自然。そこで育つ葉が人に手によって託されるこの瞬間を土の上ではなくコンクリートの上で今起きていることに気がついたのはお茶を飲み終えて余韻を楽しんだ後の刹那だ。

去年に2人血族が永眠した時、人が最後に点てるお茶ってどんな味がするんだろう?と考えていたのを思い出す。


秋田の酒造の方と話したとき、「人柄が出るから面白いよねー。頑固の先代が作ったこの酒もこれまた頑固でさ。。。」と言っていて、激しく同意した。人間性が物化して五感を通して滲み出る滋味深さに感動する。理屈とかじゃなくて純に。人の手から。

個人的な話だけど、僕はお茶は特に生産者や農家といった素材に1番近い人から買うようにしている。それはストーリーを買っているのか?と言われれば然り、共感から買っているのか?と言われれば然り。何がいいたいかって、とどのつまり地球から自然へと生命が流れ人を通して自分の中に入ってくる循環が命を祝い祈っている行為そのものだと、尊い恍惚感があるからだ。

お茶を通して隣の知らない人とする会話の楽しさもありつつ、いま再び繋がるこの見えないけれど消えずに残って渋みが広がる糸のような波を感じて。


コップの数だけ、人の中に、心に。

いいなと思ったら応援しよう!