人気がある大学の変遷を振り返る

今年も、私立大学の入試シーズンに突入しました。志願者数が多い大学は、相変わらず変わりません。数字だけ見ると、異常な人気ぶりが伺えます。

私立大学は文系といえども、学費が高いです。1年間で平均100万円はかかります。

なぜ、私立大学がここまで人気となったか、
大学の序列に関する歴史を振り返って、分析してみました。

①:戦後〜1970年代中盤まで
この時代は、圧倒的に国立が人気でした。
国立の学費が安すぎたのです。
学費は現在の物価に換算した金額で記述します。
年によって変わりますが、年間で10万円程です。現在の5分の1です。
私立は、国立に行けなかったor金持ちが行くという認識でした。私立の学費も現在より安く、年間60万円程でしたけど。

②:1970年代中盤〜1980年代中盤まで
この時代から私立が人気になります。
1つ目の理由は、国立の学費値上げです。
1975年より徐々に値上げが始まりました。80年に22万円。89年に30万円まで上がります。
国立と私立の学費の差は縮まります。

2つ目は、学力偏差値の浸透による大学間序列の変化です。
70年代中盤まで大学進学率が上がり、25%程度で一旦頭打ちとなります。
もはや、大卒というだけではエリートではありません。レベルが高い大学に入学できたかが大切になります。
この頃、学力偏差値(初登場は1965年)が本格的に浸透します。偏差値は文系or理系、国立or私立、それぞれのフィールドで算出します。そうすると、私立(とりわけ)文系は、母集団のレベルが高くないため、偏差値を簡単に上げられるのです。偏差値という新しい物差しのおかげで、国立優位という序列にメスを入れられました。

③:1980年代中盤〜1990年代前半まで
この時代は、人口が多い世代(1967年度生〜74年度生)の受験期でした。この世代の大学進学率が、それ以前の世代より低くならないように(25%程度で維持できるように)、文部省は大学定員の増加を認めました。
私立は文系学部の増加に努めます。文系なら、設備費をかけずに拡大できるからです。

経済成長率が上がり、88年にバブル景気を迎えます。バブル期は私立文系でも、大企業への就職は楽勝でした。男子学生の2人に1人は、上場企業に就職できました。(当時、上場企業数は2,600社程度。現在は3,975社)
そして、団塊ジュニア世代の受験期(90年〜93年)を迎えます。有名大学の倍率は7〜8倍でした。今で言うFランク大学の倍率は10倍以上でした。
私文バブルの時代です。国易私難と呼ばれました。大東文化大学落ち学芸大合格の方もいました。
私文がもてはやされすぎたせいか、バブル世代・団塊ジュニア世代は、人口に対して、優秀な理系研究者が少ないような気がします。(ノーベル賞取った田中耕一氏、山中伸弥氏は新人類世代ですからね。)

④:1990年代中盤〜現在
91年にバブルは崩壊しました。そして、18歳人口も92年をピーク(205万人)に、減少していきます。
にも関わらず、文部省は私立大学定員の増加を取り消しません。(国立は定員削減しましたが)
私立は学生の質の確保より、授業料収入を選びました。早慶以外の私立は入学定員を増やします。授業料が安い夜間学部を廃止して、昼間の学部を新設します。
大学進学率は25%から60%間近まで上昇します。
こうして、少子化がより一層加速します。少子化の1番の原因は私立大学と言っても過言ではありません。

ここから30年近く、景気によって、言い換えると新卒就職の難易度によって、人気の大学は変わります。

あと、慢性的な不景気のため、就職に強い慶應が早稲田より人気となります。(2021年以降は早稲田人気が復活しましたが。)
90年代後半〜00年代前半、いわゆる就職超氷河期の頃は早稲田はどん底でした。延べ受験者数が10万人を切りそうな年もありました。
比較的景気が良かった06年〜08年、15年〜19年は、早稲田を含めた私立が人気となりました。また、国際系の新しい学部も人気でした。

70年代・80年代にかけて築き上げられた序列は簡単に覆りません。早慶やMARCH関関同立の牙城は崩れません。
最近では、近畿大学や東洋大学が既存の大学群から抜けようと努力しています。

少子化がより一層進むので、有名私立でも
下のレベルの大学では、ボーダーフリーとなる可能性が高いです。
今後は、序列に入れてもらえない私立大学が
ますます増えるでしょう。



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