日本の会社の働き方が労働への美徳を奪う~仕事嫌いを生み出す労働慣行~

日本人は、世界一の仕事嫌いです。
様々な国際調査の結果から明らかになっています。
ステレオタイプとして、怠け者と揶揄される
南ヨーロッパ諸国(イタリア、スペイン)よりも仕事嫌いです。

仕事への満足度や幸福度は総じて低いです。
現在、日本が不景気で、給料が低かったり、仕事で大きな業績を上げられなかったり、経済状況が原因ではありません。
バブル最盛期の1990年の調査でも、世界一の仕事嫌いでした。

いつから、日本人は仕事嫌いになったのでしょうか?

そもそもは、仕事嫌いではなかったでしょう。
仏教や儒教では、労働(=仕事)を尊いものと考えています。
働くことは、他人に役立つ行いをするという教えです。

仕事嫌いのきっかけは、日本の会社が原因です。
具体的には、会社が売上増加のため、
全ての労働者に仕事での頑張りを強制したことです。
ここでいう頑張りとは、単に仕事のパフォーマンスを高めるだけではありません。仕事への勤勉さ、根性、心構え、会社への忠誠心も要求されます。
抽象的な頑張りも求められるのです。
日本の会社で働くことは、監獄に収容されると同義と言っても過言ではありません。ミシェル・フーコーの監獄の絵が良く似合います。
正確には、日本人は仕事嫌いというよりも、会社が嫌いなのです。

売上が増える、仕事のパフォーマンスを上げること自体は、決して間違いではありません。
資本主義においては、正しいセオリーです。

全ての労働者に一律に頑張りを求める方針が過ちなのです。
戦前は、会社で働く人の労働形態が多様(無期雇用の正社員は一握り。)で、求められる役割も多様でした。

高度経済成長期では、会社に雇用されて働く人が増加して、
農業・自営の労働人口より多くなりました。
雇用される人のほとんどは、無期雇用です。
言い換えると、1つの会社で長く働くことが生きるためのメジャーな手段となったのです。
ただ働くだけでなく、会社が求める頑張りに応えなければなりません。

戦後の近代化・工業化に伴い、日本人の労働観は変わりました。
働く当人の意思とは関係なく、強制される頑張りに対して
自分自身をフィットさせなければなりません。

会社で仕事を頑張ることを一億総強制した結果
仏教や儒教が説いた労働への美徳は、すっかり消え失せてしまったのです。

挙句の果てに、世界一仕事が嫌いな国民という不名誉を手に入れました。


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